2024年12月24日火曜日

認知症と介護予防

 医療保険の高騰つまり国民医療費の増加 介護保険利用者の増加つまり介護保険料の増加により医療保険 介護保険ともに窮地に追いやられている。 そのため介護予防という苦肉の策がとられている。一見かっこよい。耳障りがよい。健康寿命も おなじことだ。公的な医療保険や介護保険を使わないということだ。 さてそんなことを言うと お金のことばかり言って 人間の幸せって何なのか ちっとも考えていないと批判されるに違いない。

さて 認知症の患者は増加の一途 認知症治療薬の医療保険の圧迫感はすさまじい。社会保険組合は利用者した医療機関に診療報酬を支払えなくなる可能性もある。また 介護保険における認知症利用者の費用も増加の一途。  この先どうなっていくのだろう。 認知症患者に対する介護予防という考え方は どんどん推奨されてきた。介護の手間のかからない方法 認知症進行を遅らせる方法 認知症にならない方法 が模索されている。現在 介護予防に対するリハビリテーション技術の応用、認知症に対する音楽療法などが 具体的に進められている。

さて認知症に対する医学的研究が 進んできた。その中で 初期のアルツハイマー認知症本体に対してレカネマブが保険薬として認められたのは今年だ。 また アルツハイマー病に対しての研究では病気の本体と周辺症状という2つに分けた考え方が一般的となってきた。本体は記憶の障害や認知の障害、周辺症状は本体によって引き起こされる感情の障害である。本体は進行しても感情は簡単には進行しない、変化するものという考え方だ。 リハビリテーションや音楽療法は 感情に働くと考えられている。本体に影響を与えるかどうかは不明な点が多い。 しかし 感情に働いて 介護の手間がなくなっていけば それで よいのではないかという 考え方もある。 今のところ医療では本体に働くものは 少なく 周辺症状 感情をコントロールする薬は たくさん使われているのが現状である。医師によっては使いすぎのところもある。

2024年12月22日日曜日

幼児リトミック

 保険薬の場合

前に持っていた機能の回復 維持が  目標だ。回復したあと薬を使わなくて良くなるのが 理想だ。 薬を使った治療に置いては その目標はしっかりしておりその評価はエビデンスに従った治療によって決まる。

一方幼児リトミックや音楽療法はどうか。

まず目標 音楽を使って心を育てる。音楽 心 育てる それらは 曖昧だ。 

方法も指導員の裁量に任されている。教科書はない。

当然その評価も曖昧となる。

果たして標準化などできない。 

現在 音楽療法士は国家資格ではない。お国家資格となるためには 

方法や評価の標準化が必要となってくる。誰が施設で行っても同じ結果が得られるということが 標準化である。果たしてそれができるであろうか。ビッグデータ ディープラーニングや多変量解析を使えば評価は可能であろうか。  うーん何とも言えない。

2024年12月14日土曜日

出典のはっきりしない映像

 写真のような画像を見て 生成AIで作ったものか 写真を加工したものか 実写そのものか カメラ自体に面白く見せる装置が付いているのか もうわけが わかりませんね。 もともと 私たちが目で見ている物自体 人によって 違うように 捉えられているのですから。

一応 暗黙の了解があって 実写だと言っていただけです。

さて 一般に 科学論文は 観察や実験結果と ほかからの引用 さらに 自分の考えを しっかり分けて 書くことが 当たり前となっています。 このルールがくずれると 原著ではなくなります。

さて生成AIはどうでしょうか。ビッグデータやディープラーニングで出来上がった 画像や映像や文章や音楽です。 もう観察や実験結果や引用や自分の考えの区別がつきません。 

どうしたものやら。そんなものとしてほっとくべきことなのだろうか。

2024年12月12日木曜日

本 accessのデータベースのツボとコツがゼッタイにわかる本

秀和システム

パラッと見てみた。当初このソフトが出た当座 いっぱんに広めるために サンプルデータを使っていた。それとそっくりなように見えた。勝手に思っているだけです。 

2024年12月6日金曜日

本 縄文時入門 吉川弘文館

 広く縄文時代を扱った本だ。幅広いがいい加減では無い。各地の発掘調査 いろいろな仮説 などが書かれている。膨大な引用からなっている。人の記憶だけで書かれたものではない。コンピューターのデータが無いと決して書けない本と 私は考えた。本の書き方もだんだんこの様になっていくと想像された。

2024年12月5日木曜日

死亡と麻薬について

最近は 麻薬を よく使うようになってきた。痛みや苦痛を取るために 特に在宅や病院で 終末期医療を 行う医師が処方している。麻薬の使い方がよく研究されてきたためでもある。

 これをどう見るか。 私は手放しで喜んでいるわけではない。

1,安らかに 亡くなられました と 医師や看護師が家族に 告げる。家族もそれで納得し 穏やかに送ることができて喜んでいる。 そんなんでいいのかい。麻薬のためにそうなっているように見えているだけかもしれない。仏教では死は苦痛 生老病死の一つとされている。 もともと苦痛なのだ。 生物にとって死は不可逆的だ。そして 死んだら生きているときの心はどうなっていくのか 不明だ。だから 怖いのだ。だから死にたくないのだ。それを麻薬によって死を受け入れやすくするなんて 変。

2 穏やかだと 生きてきたときの 文句の一つも 言えなくて 死んでゆくのではないかと と思う。

3文句や苦痛を死にゆく人から言われると みとる人は ちょっとは反省する。それに楽しかった事苦しかったことも 話し合うことができるではないか。

以上の3つ理由で私は ふんだんに麻薬を使うことには反対だ。


2024年12月3日火曜日

介護保険のゆくえ

 厚労省発表の資料のコピーである。

一枚にまとまっており まとも 御尤であると思われる。 介護保険があってこその審議報告だ。一方介護保険料は どんどん高騰している。サービスを利用するのがあたりまえとなっているからだ。 表向きは審議報告の通りであるが 果たしてふんだんにサービスを利用し続けて良いものか分からないのだ。 その証拠かもしれないが 持続可能な制度ということも同じ厚労省が言っている。介護予防や健康寿命というものだ。これは介護保険や医療保険を使わないようにと言う体の良いキャンペーンだ。  さらに 介護保険サービスが本当に私達を幸せにしているのかの評価もいい加減だ。どんどん人口は減り 東京を除く全国の市町村は人口流出が止まらない。 表向きのいいことばっかり言ってはおられないのだ。と 私は思っている。

2024年12月1日日曜日

総人口に推移や加速度を数値で見る

 グラフばかりながめていてはだめ。2000年の介護保険法施行日 の前後の総人口の推移 推移の加速度の変化を数字でみてみよう。1980-1985 1985-1900 1900-1995 1995-2000 2000-2005 2005-2010 2010-2015 2015-2020 の総人口 と 変化 変化率を表示してみよう。

変化率 (1985-1980)/1980 でみてみよう。

東京の息子は本当に悪いのか

 在宅介護あるいは在宅終末期医療において悪者にされる東京の息子。在宅で献身的に義父義母の介護をおこなる在宅の息子の妻と 東京にすむ息子、たまに帰ってきて なんで入院させないのかとか こんなものを義父義母にたべさせて とか言う東京の息子。

果たしてこの東京の息子は本当に悪いのか。 まず 父母にしてみれば在宅の息子も東京の息子も 同じ息子だ。 在宅がとても裕福で2人の息子が同じ屋根の下で住んでいたらどうなったでしょう。 喧嘩は絶えないかもしれない。 人以外の哺乳類を見えてもわかる。同じ群れの中に兄弟オスが2匹以上いることは滅多にない。 人も哺乳類だ。 東京の息子はたまたま父母が 離れて住むのに適していると判断したから東京に行かされたのだ。あるいは自分でそう思ったかもしれない。在宅の息子は たまたま父母が同居を選んだあるいは自分でそう判断したのかもしれない。 人も哺乳類、そのように判断して 誰を責めるものではないのだ。

そういう理解をしていないと在宅介護 在宅終末期医療は成り立たない。

2024年11月29日金曜日

一つの例 長野県信濃町の人口減少についてのアプローチ

 町の多くの方に聞くと たいてい 人口減少は仕方ないと思っている。町に働くところがないから長野市などに努めに行くという。

それ以上は考えないのだ。自身は人口減少はだめと思っており、自身は町を離れたくないと思っている人が多いと思われる。 働いてお金を得ようとしていて 地元では雇口がないので仕方なく長野市ないの会社などから給料をもらっているのが現状だ。

まずそれ以上考えないのだ。そして単純に農地がたくさんあるので農業振興、お金になる作物を作れば良いなどと考える。 しかし実際は 寒冷地でお金をかけないと農作物は作れない。収益が上がらないので挫折する。 そういったことの繰り返しだ。

例えば考え方の進め方。

1.とどまりたい引っ越しはしたくないと思う理由を考える

    人がよい、景色が良い。昔から住んでいる。行政施策がよい。

2.お金がほしい。何に使うお金? 自動車 住宅 医療 介護 食料

というふうに具体的に考えてみることが 大事だ。

2024年11月28日木曜日

コミニュケーション不足が人口減少や町崩壊の大きな原因

 人生会議やエンディングノートやACPは

死に行く人と残された人のコミニュケーションのツールとしては有用であるが まだまだ足りない。

介護保険ができて25年あっという間にほとんど人が介護サービスを利用するのが当たり前になっている。介護は介護保険 介護はお金。という考え方が一般的になってしまった。

Aさんに認知症や身体の不自由があると 努めに出ている人や東京などで暮らす人BさんはAさんを介護保険の施設サービスや介護病棟に 入れたがる。

そこで まず 物理的にAさんとBさんは コミニュケーションが取れなくなる。

また 長生きするようになって ガンや交通事故などと違って 認知症や脳血管疾患や体や精神の動きが悪い病気になって 時間をかけて死んでいくようになった。 自分で意思決定ができないわけであるから コミニュケーションは取れない。そしてその期間は長い。

結局信濃町に財産を持っていたかの相続人は 早くその財産を手放したくなるのだ。 離れているし死んだ人の希望なんて無視されるし、 その財産は 外国人などに売払われてしまうのだ。 信濃町は人口は減少し町の財産も減少していくのだ。

おわかりか。

AさんとBさんがコミニュケーションが取れていれば そんな簡単に 町は崩壊しないと私は考えている。 

2024年11月27日水曜日

音楽療法考え方

 音楽療法の適応の3分野

1老人 認知症 に対する 療法

2発達障害児に対する 療法

3病人に対する療法

4私の考えではもう一つ集団に対する療法があるだろうと思います。

薬物療法は医師の指示で行う。音楽療法は医師の指示書があるのだろうか。

薬の評価は厳格で 命令系統も厳格です。

一方音楽療法は命令は不明確 音楽療法士にかなり療法士本人の裁量が重要だ。

2024年11月22日金曜日

本 人類はどこで間違えたか 中村桂子著中公新書ラクレ 

 絆とか利他 私たち 仲間 といっているが

私の考えと知ずいぶん違う。中村桂子さんは 生物の定義あるいはDNAをもつものという けっこう学問的な共通点をあげて 仲間といっている。私は そのような定義より それぞれの生物の行動をみて 仲間と感覚的に思っている。それは 哺乳類から人類まで。鳥類になると 仲間とは思わない。食うか食われるかの対象でしか無い。

よって中村桂子さんとは随分違う。仲間の範囲も異なる。

2024年11月20日水曜日

本 人類はどこで間違えたのか 土とヒトの生命誌 中村桂子 中公新書ラクレ

 70年大阪万博のテーマが人類の進歩と調和だったのを彷彿とさせる題名だ。著者は探している。真実を見たいという私たちの欲求。そこから得られた応用や工学の産物。 それらが行き過ぎと感じているが どこで どう折り合いをつけたらよいか 探している。迷っている。科学者として 真実を追求したいのは当然と考えられてきたが それを止める あるいは宗教のように何かを信じることができないかを 考えている。 私はそう思っている。

2024年11月13日水曜日

各疾病について 癌 認知症 循環器疾患

 世の中の疾病関する知識 考え方は 相当な個人差がある。

さて 癌

癌はすぐに死ぬ病気 と思っている方がかなり多かったが最近はそうでもなくなってきた。悪性腫瘍の種類によってかなり違うが 治療の改善 診断の進歩などによって 癌はすぐに死ぬ病気と 考える人が減ってきている。池江璃花子さんは治療を受けて オリンピックに出場されました あそこまで げんきになられるのは まれと 思われますが 診断治療が進んでいることを 世の中に知らしめたのではないかとおもっています。

認知症

よくテレビドラマに出てきます。本もたくさん出ています。それでも認知症への理解がホントにバラバラです。医師の理解もバラバラで説明もいい加減です。認知症は癌以上に死に至る病気ですが 癌ほど死に対する不安が少なく介護の大変さばかりが強調されます。そして認知家族の方は周りの人にその大変さを強調します。けれど とても個人差があります。患者さんによって症状も違うし 介護の手間も違うし 進行する速さも違うのです。 ですから医師でない方に認知症について説明しても 認知症の全容を説明しても 説明しきれないのかもしれません。 さらに認知症に対するおくすりが発売され異常に高額です。数が多い上に高額な治療費がかかるとなれば 社会保険医療の崩壊や 医療を受ける人の格差が増大します。 個人の問題だけではなくとても大きな社会問題でもあるのです。

循環器疾患

増えているのは事実ですが 予防によってそれ単独では死ななくなってきています。医師の実力が問われる疾患でもあります。いちどコレステロール下げるおくすりが高額で医療費を圧迫し社会問題化しかけた事が有りましたが薬価が下がりたくさんのジェネリックが出たためそうでもなくなりました。一時はやったメタボという言葉もかなりの効果が有りました。検診を受けたり 疾病減らすことによる会社や社会の 損失と 経済的な得 を考えるようになりました。

2024年11月11日月曜日

職業に貴賤はないということわざがあるが さて

 昨日 昨日 認知症の取材をとおして思うこと と 第する 信濃毎日新聞の方の 講演と その後の グループディスカッションがあった。 

演者は演題目からは外れて認知症の診断病態が主な内容であった。これは多分演者が日ごろ感じていた多くの方が認知症の診断病態に対する無知。そのためにそういう内容になったのではないかと思った。 更に グループディスカッションでは 認知症患者家族の会や認知症の方らしい方が 身近におられてどう対処したらわからないという方ばかりだった。 ここでも認知症の診断病態に対する無知ということを 強く感じた。いっぽうなぜそうなっているのかを看護や介護や福祉行政に携わったかた の ことを考えてみた。 もしかして それらの方々は 医師に対するコンプレックスを抱いていて 認知症の診断病態あるいはその研究にたずさわっては いけないそれは医師の仕事だと思っているのでは無かろうか。 反対に医師は 看護介護福祉行政に携わってきた人をののしってきたのではないだろうかと ふと 思った。 職業に貴賤はないはずではあるが 実際は違うのではないかとふと 思った。

2024年11月10日日曜日

もっと単純に考える

 かつては非常に複雑な現象の中からある法則を考え出す 天才のような方がいた。

現代は非常に複雑な現象に対して 非常にたくさんの例を記録し 複雑な現象の小さな違いを検出し 増強し 現象にひそむ傾向をを見出しそれを何度も傾向を確認増強して 複雑な現象の法則を見つけ出そうとしている。法則がはっきりしなくとも 現実の問題を解決しようとすらしている。

それらの恩恵に預かろうと お金や早いものがち といった醜い争いすら起きている。

かつての天才が紙と鉛筆で考え出した法則は必要ないのだろうか 無駄なのだろうか。凡人がAIを駆使して問題を解決すればそれでよいのだろうか。

誰でも天才になれるわけはないが 世の中を もっと単純に見て自分なりの価値判断をしてもよいのではないか。 特に 現代は 人の気持ちという非常に複雑で各人異なる物が重要視されてる。 そこが 問題であり これからも大きな問題となっていく。 今はAIを使って人の気持ちによって変化する問題や犯罪を解決しようとしている。しかし私はもっと単純に人の気持ちを判断できるのではないかと私は考えている。例えば教団の首領を見て 立派な服を着て立派な家に住み贅沢な食べ物を食べていればそれはカルト教団だと判断できる。などである。

2024年11月3日日曜日

音楽療法を科学的に捉えられるか

 かつては医は仁術と言われた時代も有りましたが 今はエビデンスに基づいた医療が主流です。 科学的に評価が得られた治療法や 薬剤が 患者に適用されます。あほな医者でも 適応条件をまちがわなければ治療ができるのです。

 つまり仁術ではないのです。

一方音楽療法自体は エビデンスが確立されたものは 少ないのです。 さらに 音楽療法と治療薬の違いをみれば わかることです。音楽療法は施術者と患者のやりとりによって効果が大きく異なることが想像されます。一方治療薬は あほな医者 患者とのコミュニケーション不足の医者が投薬しても適応条件をまちがわなければ治療の効果は 表れるのです。 

 その違いはとても大きい。 まずそこから出発しないと音楽療法におけるエビデンスが見つからないかもしれない。コミニュケーションの部分をAIに置き換えて 科学的なデータが得られるかも今のところわからないのです。


2024年11月2日土曜日

本のタイトル

 音楽療法はどれだけ有効か という 化学同人の 本

このタイトルを見て ふと思った。 このタイトルには作者 佐藤正之さんの 願いが込められているとわかった。単に音楽療法は有効か ではなく 「どれだけ」という言葉が入っている。その心は 有効かと 勝手に声を荒げているのではなく 科学的に 定量的に しなさいという 佐藤正之さんのこころだ。 本を売りたいという作者の願いではなく こうしてほしいという 願望を込めた 本のタイトルなのだ と ふと思った。

2024年10月31日木曜日

本 音楽療法はどれだけ有効か2

 自分でエビデンスを作り出すことはしないが。

他の誰かが発表していることは 読むことはできるし本当かどうかを確かめることはできる。それを元にして次の方向へのアイデアを考えることもできる。オリジナルではないがそれでいいではないか。元々アマチュアだ。

2024年10月26日土曜日

しばしば行われること

 xはaをAにすることができる

yはxを含んでいる または yはxに似ている。

yはaをAにすることができると 言えるかどうかは

わからない。

実際にyをaに作用させないとわからないのだ。


2024年10月25日金曜日

本 音楽療法はどれだけ有効か

 佐藤正之著 化学同人

結構自己矛盾カモネギ エビデンスと言いながら エビデンスでないこと 自分の想像を 中心に話していることが多い。 特にp86近辺にはそれが目立つ。

認知症のBPSDに対して効果があるという報告が多い。一方 BPSDは 認知症本体に対する本人の感情的な反応で有る。それは時間的にも千差万別、症状も千差万別。効果を確かめるべき 症状がはっきりしなのだ。さらに 効果を測る方法すら はっきりしない。 さらに音楽療法と言っても一つではない。  治験薬で言えば 対象疾患も薬も 投与方法もはっきりしないし 生死などの測定方法もはっきりしないのだ。 従って エビデンスと言われるとものが 得られる のは そうとう困難なのだ。

まだまだ先は長い。

認知症の中核症状 物忘れなどは 想定方法が 少しははっきりしている。 が 不明だ。


2024年10月12日土曜日

ハイブリッド病院

 医者などの人的資源

MRI、救急車、ベッドなどの物理的資源

AIなどの デジタル資源

医療保険 民間保険 診療報酬 など 法的経済的資源

現在のほとんどが アナログで成り立っている病院を上記4つを見直すことによって現在よりかなり安く 患者さんの要求に応えることができる 病院を構築することができる。さらに 持続可能にするために 技術 法律 教育 経営などの専門化の助言が得やすいようにする。

という ハイブリッド病院の構想

2024年10月7日月曜日

言葉の変遷

 1 びっこ ツンボ メクラ

2 障害者

3ノーマライゼーション

4合理的配慮

5SDG's  誰一人取り残されない社会

1−5 時代の変遷とともに 変化してきた 言葉で 良く似たものを 並べてみた。 これが 理想形としても 時代が移り変わっても あり続けるのは なぜだか 考えたことがありますか。 私たち人間が持っている本質的な欲望から はずれているから カモネギ。

2024年10月2日水曜日

本 学力喪失 今井むつみ著 岩波新書

 新聞の下段にあるコマーシャルを見て買ってみた。

とくに終章 生成AIの時代の子どもの学びと教育だ


p297

評価の観点でもっとも重要なのは どういう知識を持っているかということよりも 自走した学び手に育ち やりがいをもって充実した生活を送っているかどうかだ。

私はもっともだと思う。自分の子や孫に望むのは何だろうか。 まずは 自走した学び手 ではないだろうか。

生成AIと直接は結びつかないと思うかもしれないが ほとんどの生成AIは 最適な答えを出すように作られているカモネギ。 ちょっとその力を借りるだけでよいのだ。と私は思う。

2024年9月15日日曜日

覚え書き

 空海 774-835  61

称徳天皇

孝謙天皇 718-770  52

弓削の道鏡 700-772  72

桓武天皇 739-806  67

平安遷都 794

2024年9月13日金曜日

新型コロナウイルス感染反省の一つ。

 現在は比較的新型コロナウイルス感染症の広がりは落ち着いていて 流行ってはいません。

さて あの流行していた時期にはさまざまな情報が飛び交い、惑わされたものです。 特に

国や厚労省が提供する情報に対するアンチ情報です。ウイルスに対する情報 ワクチンに対する情報 治療薬に対する情報です。

現在 それらは感染症の広がりの減少とともにいつの間にやら なくなっていきました。ウイルスを使った戦争をおこすための陰謀だと言う人まで現れました。 何だったのでしょう。それらのアンチ情報を流した人たちは売名行為だったのでしょうか。わかりません。 いっぽう国や厚労省が提供する情報が少なすぎるとか不正確であるとの批判もありました。 その事によってアンチ情報が たくさん出たということも 反省すべきことではないでしょうか。

物忘れ

 財布を無くしてでてきたがその時の気持ち。

外出するためカバンに財布を入れようとしたとき電話がかかってきた。

外出から帰ってきたとき財布が無いことに気づいた。財布を外に落としたのではないかと心配したが 外を見てもなかった。家の中を1時間以上探して ふと高いところの上に財布があることに気づいた。 ホッとした。

カバンの中に財布を入れて外出したと思い込んでいた。実際は電話がかかってきたとき 財布を入れず 高いところに置いたことを 忘れていたのだった。 財布をカバンの中に入れるという一連の動作が 突然中断すると入れてしまったと 間違えて 思ってしまった のが財布を落としたと思ったことにつながったのだった。


この一連の動作の中断によって 一連の動作があたかも完成したかと 思い込んでしまう 曖昧さはとても危険だ。覚えておこう。 一連の動作が中断した時の記憶の曖昧さ。 お忘れなく。


高齢者の自動車運転

一見うまいように見えて 実際はどうか。慣れ親しんだ運転動作は難なくこなすが それが何らかのことで中断すると すぐには判断できず間違った動作をしてしまう。さらに いつも行っていた動作が完成してしまったと思い込んでしまう。 とてもきけんな事だ。

2024年9月8日日曜日

年老いた娼婦

 娼婦という言葉は 好きではない。

医者をしていたころ たくさんの高齢女性を診ていた。 その中で独特のある雰囲気を持つ女性が数人いた。人によっては周囲の人からはさげすまれた扱いを受ける人もいた。 そして周囲の人は 彼女が 客を取っていた。パンパンだった。娼婦だった。などという。 

独特の雰囲気は未だに言葉にできない。

ある時 さげすまれていた女性の一人から 往診の依頼があった。東大路に面した細長い家いっぱい飲み屋だった。の2階の屋根裏部屋に行った。寝床があった。仰向けで見ると手の届く天井に古いブロマイドが貼ってあった。 ちょんの間。だとスグに理解できた。 

別のある家に往診に行くと 家の造りが旅館だった。娼婦の館という雰囲気があった。そこの高齢婦人もある雰囲気を持っていた。他の人からは差別されるより尊敬の目で見られていた。 

もうそれらの家は無くなっている。跡形もない。平成のはじめまで確かに残っていた。令和になると 全くなくなっている。

2024年9月7日土曜日

本 花と夢 ツェリンヤンキー著 星泉訳

 春秋社 アジア文芸ライブラリー シリーズ第一作

チベット ラサ。 必殺シリーズでよく出てくるパターン。 純情可憐な女性が金欲性欲旺盛な男性に陵辱されるパターン。 チベット仏教しか日本に伝わってこないが ラサの街ではこのような事が日常に行われているのかもしれない。

2024年9月6日金曜日

SNSヘの投稿 変

 どこかに書いてあること

なんの検証もなく 事実として 伝えたり

自分一人の経験と合致したから 正しいとして

投稿したりすることが まん延している。


変形性腰椎症 治療

 診断 starting pain at lower back

治療 腹巻き型BSfine による患部の保温とくに就寝時

   筋力アップ ストレッチ

効果 有り


2024年8月30日金曜日

助け合いはいつかなくなったか

 ふと 思った。

大昔は 辛い環境の中で 地域が助け合い 親戚が助け合うところだった。

 寒冷地での 政府の保護も受けてきた。そして政府を信じてきた。 しかし政府は変わっていった。自由 他人に迷惑をかけない 個人の情報保護などの 新しい考え方が 入ってきた。そして いつのまにやら 田舎での近代の都会生活に入っていった。 そのために 他人に無関心な生活 急激な人口減少 という 地域形態になってしまった。 残念ではある。 そこを修正するには 相当の時間がかかる。

これをゆっくり検証してゆきたい。 まずは

法律などと時系列変化 地域差を みてみるべきかも。

2024年8月23日金曜日

本 町内会 玉野和志著 ちくま新書

 そうぞうしていた内容だ。行政支配者が町内会を利用してきた。 そういう仕組みになれない人がたくさん出てきた。もう一度 その役割を利用しようと いう内容だ。

私は町内会長を1年間やった。、民生委員は現在も続いている。

町内会それぞれ 大変違うと思う。京都でも町内の班長のようなことをしていた。 全体の仕組み役割はこの著者がいうことで正しいとは思う。誰もが思いつくことだ。 もっと 人との関係が大きく働いているところだと 今思っている。むしろそちらのほうが大きいのではないのではないだろうか。 誰が何時ごろ起きて 草掃除をしている、自家用車に乗って7時に家を出た いつも通りだ。あのだんなと奥さんは顔を合わせる時間を わざわざ作らなくしているのではないか などなど。しゃべらなくても しゃべるとより身近に 人間関係が見えてくる。あの人は かってだとか 困っているかもしれない何か助けが必要なのではないか などなど いろいろかんがえる。 そういう人間関係で成り立っているのが 町内会ではないのかと今は考えている。制度的には家長や世帯主ということが残っている制度でもあるが そういうことは じきなくなるかもしれない。 大きな団体として何とか町区というものがある。地縁団体という法人格があり 財産を所有することができて 住民全員の意見が反映されなければならない法人である。これも法律的にはこれから 大きな力を持っていくようには 思う。

2024年8月19日月曜日

介護保険のサービス担当者会議

 介護保険のサービス担当者会議知ってますか。担当のケアマネージャーが担当の利用者のことを知る いろいろな人を呼んで小さな異業種連絡会議を開くものです。 民生委員をはじめて1年以上経ちますが サービス担当者会議に呼ばれたことがありません。 急に入院となった人 ストーカー被害や詐欺被害にあった人 遭いそうな人 けっこういっぱいいると思うのですが サービス担当者会議に呼ばれたことがありません。

2024年8月18日日曜日

写真を加工しない理由

 数万枚撮ってきて 加工している暇が無い

加工しても元の写真が良い。加工すれば悪くなる。頭に描く加工後の写真が陳腐。撮った被写体に感動しているのであって 自分が加工した写真に感動しない。

昔は加工に時間がかかった。いい加工道具ソフトがなかった。

モノクロフィルムなら プリント一枚仕上げるのに納得いくまで安室にこもればよかった。

2024年8月9日金曜日

カルテなどの機密文書の処理


 箱に詰め替えている時に カルテの表紙の名前が見える。その方の顔や声が直ちに浮かぶ。そしてその方の深くまで 自分が知っていることに驚く。そして自分がとってきた診療などの行動がそれで良かったのかとてもとても心配になる。 自分はなんと不真面目な医者だったのではないかと とてもとても不安になる。

2024年7月22日月曜日

送料考

 ネットで 送料 200円 500円 無料など

いろいろ書いてある。北しなの線では 長野駅 黒姫駅間 往復 1300円

品物によってネットで買うか 第一スーパーで買うか 長野市で買うか 東京で買うか いろいろだ。値段だけでは 比較できない。

大きさ 重さ 品物単価 触らないとわからないもの 品物の信用 販売会社 そこにしかないもの ついでで良いもの 買い物を楽しみたい時 動きたくない時 などなど いろんな条件で 買う場所が決まる。


2024年6月6日木曜日

今日の信濃毎日新聞
わたしの医学部の講義ベスト1 は 病理の藤田せつや教授の炎症の講義でした。診療しているときもその内容を思い出していました。その講義の脱線の中で徳川家康は丹毒エリジペラスでなくなっとというものです。いまは 丹毒多くの起炎菌は 溶連菌かもしれません。 江戸時代には菌の種類なんてわかりません。 しかし 書物には手か腕の丹毒でなくなったと書いてあるようです。 ふとそんなことを思い出しました。

 

2024年6月4日火曜日

FBのコピー

ご注文商品を住人の方に直接手渡しました。

との 書き込み これは嘘。直接手渡しされていません。 郵便受けにチャイムもなく入れてありました。
トヨタをはじめ世の中嘘ばっかりです。あーあ。

最近の専門家と言われる方々、正直な方も色々ピンから切りまで おられます。一方 自分の頭で考えたことが正しいと思い込んでべらべら喋る人もいます。ウケネライの方も多いです。要注意です。


10年前に退職して ボランティアで介護施設や農業施設で活動していた人も 今は80代90代です。独居老人となって多数の支援を受けておられる方もいらっしゃいます。

FBのわたしの書き込み コピー

もし私が小池知事だったら

次の都知事選は立候補しない

もう嫌気がさした。

学歴問題は 過去に散々叩かれた。

ファッションも言われた

選挙の 票取り 政党間の なじりあい。

都政のこと 子供達の未来の事は これっぽっちも議論しようとしないマスコミ。

もう嫌気がさしますね。

もしトラ 流行ってますね

ネコはとても記憶力が良いと思う。 ちらっと一回もう一回ちらっと見ると 敵か見方をを判断し 記憶に残している。一週間後には ちらっと一回見るだけで それが 記憶の中の見方だと判断する。 次の瞬間には異なることをしている。
とても頭良い。視覚または視覚の記憶 直ぐ 行動だ。人のように 躊躇したり ぐずぐずしたりしない。

当たり前のことですが
防災
生きててなんぼ 自分が 生きててのことですが。
困っている人を 助けたいのか その気がないのかが とても重要です。
その気がない人に 災害弱者 や 避難行動要支援者名簿の 話をしても 単なる お仕事と思ってしまうでしょう。
当たり前のことです。

町のプレミアム商品券を買っていたため
値上げを気にせず いつもの野菜などの食材を買ってしまった。 もう商品券は使い切ってしまった。

今日の信濃毎日新聞
専門家でも これぐらいしか言えないのだ。
まだまだ研究の余地あり。いい分野カモネギ。

今日の信濃毎日新聞
昨日も書きましたが これで 円安は 止まりません。 日本は さらなる 国力低下です。 日本を引っ張ってきた大企業は こんなもの です。 日本列島にいる若者よ こんなテツを踏んではいけません。

くまが家の周りの木に登って果物を食べて逃げていく 猟銃を持った人に追い立てられ 撃ち殺される。 とても 哀れに思える。
なんとかならんかね。


10軒近く直接 6時31分の地震のことを聞いてみた。多くは警報音の後 地震を感じたとのこと
私は 警報音の後 地震を感じなかった。ただ 台の下に隠れた。


何件もある時間のかかる聞き取り訪問
問題は おしっこ間隔の短さ。
あーあ。

NHKニュース
もうダメですね さらに円安すすみますねー


ああ悲し。ご家族に
ケアマネの名前を聞いても もしかして知らないかもしれない。
かかりつけの医者や病院の先生の名前は
多分 ご家族は知っている。
そんなもんです。ああ悲し。


ふと思った
事故 災害 事件 など 忘れることが
良いとか いう人がいる 実際 何事もないはずだと 思って 生活している人が多い。 何か 起きると 想定外と片付けてしまう 。
 実際 事故 災害 事件 のとき よく考えて 反省もしなければ 簡単に 忘れてしまうのだ。
 想定しなかった 行政や誰かさんが悪いという人もいる。
 反省。


すべてのリアクションギター1台 調整の部品お取り寄せのため 
楽器店にお泊まりです。

ふと思った
芸術作品の必要条件
普段芸術性の高い音楽 絵画 文学作品などと
喋るが 芸術作品の必要条件を考えてみた 。
1オリジナル マネでない
2 少なくとも2人以上の賛同者がいる
3すぐには消えない。
4 ヒト全員が理解するわけでは無い。理解できないところがある。
などと 芸術作品の必要条件を 考えてみた。

ふと思った
現代は多くがグローバルですが
Native が ついこの間まで ありました。
Native ランゲージに代表されます。
Native リズムも あるように思います。


すべてのリアクション:
    

すべてのリア
すべてのリアクショ

2024年5月28日火曜日

人を見ていうなと言われたことがある

 言われた時 差別される組織に属しているからといって自分を差別するなと 威嚇しているとわかった。 それで とっさに 私の仕事は医者。人を診るのが仕事だといった。  今から思うに 医者は 先入観にとらわれず 個人の人がら病状などを 一つ一つ見ていく職業だと思った。したがって医師という職業は差別とは無縁な職業だ。ということがわかった。

2024年5月26日日曜日

本 アーミッシュとフッタライト 小坂幸三著 明石書店

 この本は 各専門家が 自分の分野から アーミッシュを見て 考察した論文を 集めた本。

アーミッシュはアメリカ合衆国に存在する宗教セクト集団である。

集団を維持するための 内的なものと外的なものを区別して書かれている。

内的なもの 集団内での相互扶助 教会戒律 この世的なものの忌避。忌避の対象は教会 地域の合意で決められる。 いろんな集団が出来上がる。あくまで共同体全体の維持が目的。その意味では 強烈な全体主義。

外的なもの 集団を維持するため 他を排除したり利用したり 時には法律も利用する。


全体としては 集団を維持するため かなり 臨機応変だ。

 

2024年5月25日土曜日

マイケルジャクソンの努力して

 ブレーキンとマイケルジャクソンの比較をしていて ふと思った。ブレーキンははなから自分が良いものだと主張した どうだ どうだ と だらしない格好で 押し付けている。一方マイケルジャクソンは卑屈だ。したげられてきた黒人 いくら優れた踊りや音楽であると思ってもあくまで 白人を立てる。 卑屈 謙虚 慎ましい。礼儀正しい。白人が本当に尊敬の目で 優れていると称賛の目で見てくれるまでは 謙虚さを失わない。とても気を使い 並々ならぬ努力をしているのだ。

2024年5月23日木曜日

反例 論理学的 と 民主主義的




 数1に出てくる 反例

数学論理学では 一つ見つければ良いのである。

一方民主主義では 多様性を重んじ 多数決で良し悪しが 判断される。神様不条理の世界と 人間が作った暖かな世界の違いなのだ。

さて 反例について 都会では 人の数が多く反例は出やすい。一方田舎では 人の数が少なく判例は出にくい。 こう言う傾向にあるのかもしれない。

次世代 解放同盟の長から聞いたこと

 ふと 思い出した。しのうこうしょうえたひにん。三条にも穢多部落と非人部落がある。

穢多もしのうこうしょうと同じように一つの身分。

そういうことか。

しのうこうしょうの人が穢多を差別するように 穢多は非人を差別する。ということか。

差別される人のなかに差別する人が同居しているということか。なるほど。

2024年5月21日火曜日

防災について

昨年に引き続き要援護者名簿や要援護者マップを作ることには なったが さてさて。

一年に一回のことではあるが それを使ってどうのこうのという話にはなっていない。

1つの考え方を示したい。

1大規模災害が起きたとき 誰も死なせない。

2どんな災害がどんな規模で何時おきたか あるいは 継続しているかの把握。

3人がその時どこにいて どんな状態でいるのか 死んでいるのか 生きているのか 怪我や疾病になっているのか そこにいないのか の把握。


1のために 2,3がわかると その方法が 自動的に決定される。 しかし 2は難しく3は更に難しい。

さてどうすればよいか。 2について 夜中に起きたか 昼間におきたでは全く状況が異なる。

夜中に家族がいても 昼間に一人でベット上で酸素を吸っている方もいる。 元気な若者であっても怪我をして足が動かせないなら 自動車を運転することはできない。遠くの会社に行っていればそこにはいない。 そんなものなのだ。

個人の情報も役に立つ。今日はデイサービスの利用日だ。コンビニで買い物をした。Nシステムで何時何分にそこを通過したので今は家にはいない、デマンドタクシーに乗ったなどなど。

2についても 大規模火災がおきて避難所が燃えた、道路が遮断された しかし こちらの避難所はまだ使える道路はここを通ったほうが 早く行ける、電気の供給は止まってはいない。スマホで情報は取れる取れないなどなど。


まずデスクトップでこれらができるか シミュレートするのもよいのではないか 足りないものを足してゆけばよい。一度に完璧なシェルターを作るなどと考えない方が良い。

2024年5月14日火曜日

本 寝た子なんているの 見づらい部落差別と私の日常 里山社

 上川 多実 著

哺乳類は 子供の時から 競争をして順位をつけていく。乳首の数が 限られているからと 考える。

順位をつけることが 他を排除すると言う 差別となっていくことが 問題なのだ。

差別が生まれる条件として

1 飢餓 食べ物が足りないといことが 大きな問題

2024年5月12日日曜日

2019年5月15日信濃町に転居

 5月16日になると転居して6年目に入る2019年12月には中国で新型コロナウイルス感染症が広がり かなり予定が狂った。

5月から12月まではかなり積極的に信濃町を回った。絆の大将にも話しかけた ほっこり の 大将にも。報恩講にもでた。山地租のべんきょうかいにも参加した。 その後はさっぱり 昨年には組長や民生委員にもなった。  転居のときおおくはマイカードで方がついた。楽だった。一方通信は手間取った。今回線はドコモ光を使っているが京都にいるときは NTT西日本とOCNだ。解約してドコモ光にするまでに時間がかかった。5月15には間に合わず ドコモのモバイル通信を使ってインターネット接続をすることにした。15ギガの契約をした記憶がある。今もそうしている。ひとつのスマホでそのモバイル通信を利用してアクセスポイントとデザリングという機能を使っている。外出するとき他のスマホやパソコンを通信で利用するときに重宝している。15ギガを超えることはまずないせいぜい5ギガぐらいだろう。インターネットサービスプロバイダーは室内では ASAHIネットのドコモ光1ギガファミリーというのを使っているIPV6接続機能契約は自動でそうなっているが ドコモ光とドコモから提供されるルータがIPV6に対応していない。 けれど 遅いという感覚はない。

 なんやかんやあったが今は殆ど定常状態だ。

何か提案すると 個人情報保護に呈すると 言う人が かなりい多い

 便利である。そこかな先は考えなくて良い。議論する前に その中身を捨て去ることができる。

頭の悪い人にとって 簡単に鬼の首を取ることができる法律だ。 この町で何かトラウマでもあったのだろうか。

あの法律ができる前に なんちゃらネットワークが たくさんできていた  個人から情報を仕入れて 勝手に団体が利用しようとしていた時期があるのだ。 そのため 個人に思わぬ不利益が生まれた。 例えば aさんは あの同和地区の出身だから 就職させないとか結婚してはいけないなどの情報が 飛び交った。 などなど。 いっぱいあったに違いない。

そう言うaさんのような人を産まないために 個人情報保護法案はできたはずだ。 しかし 個人情報を得ないためには 人の役に立つことはできないと思い込んだ人が 多数いた。 触らぬ神に祟りなし。知らない 議論しないことにしてしまえば 簡単なのだ。 そう言うことにして時代は進んだ。 隣で何をしようが判らないならばけっこう。 死んでいようが生きていようが どうでも良い。挨拶もしない。表札もつけない。 そう言う町が出来上がってしまった。 じゃんじゃん。

2024年5月3日金曜日

本 満州に渡った朝鮮人たち 李光平写真文 せ

 世織書房  信濃毎日新聞に載っていた本です。前の大戦の時 日本から満州に移動させられた朝鮮人の 写真集と文です。 朝鮮民族はユダヤ人の次に在外人口が多いと書いてあります。  日本人は今でこそ海外で生活する人が増えていますが ほとんど日本列島に住んでいます。 朝鮮民族とは全く違います。 もともと日本人は朝鮮半島などから 弥生時代古墳時代に日本列島にやってきて 縄文人など複雑に混血した 結果の民族とされています。遣唐使が廃止されるまでは 朝鮮民族を尊敬して助けられていたように見えます。江戸時代でも朝鮮人を暖かく迎えていたようにも見えます。しかし 関東大震災以降は極端に朝鮮人を差別しているようにみられます。 この本は 特に日本人に差別された朝鮮人の証拠写真のようです。

なぜそのようになったのでしょうか。 聖徳太子の時代 日出ずるところの天子うんぬんという文章がある。中国には支配されないという強い意志がある。一方中国軍を当てにしたり 中国軍の通り道として自国を使わせた 歴史が朝鮮半島で見られた。私の教えられた歴史で は そのようになっている。 これから なぜそのように差別するようになったのか いろいろ勉強してゆきたい。

私の幻想 怖い話

 ある昆虫Aが 温暖化のため大量発生するようになった。農作物は不作に見舞われた。そこでAが大量発生しないように オスAの精子が少なくなるようなエピゾームを組み込んだ。Aの大量発生はなくなり徐々にその数を減らしていった。しめしめと思っていたが そのエピゾームが他の昆虫にも感染し始めた。ある食物の受粉を促していた昆虫がへりある食物は取れなくなった。様々な食物の収穫は徐々に減り 食糧危機が地球全体に起きた。フードナショナリズムによって戦争が起こった。そして人類も滅亡していった。

ジャンジャン。

2024年5月2日木曜日

同対法 ある時 ない時

 本 寝た子なんているの 見えづらい部落差別と私の日常 上川多実著 里山社


時限立法だった同対法 同和対策事業特別措置法が  2002 年  3 月 に無くなった.

1965年成立 1969年施行。 自分なりに考えてみた

1 視線の変化

2マスコミの変化

3住む所の変化

4同和教育で住んでいる地域が差別の頑強と学んできたのではないか

5法律がなくなって視線の変化を強く感じるようになった。 差別するとその仕返しが怖いので目立った差別はしなかった人がいる 法律がなくなったのでおおっぴらに差別できると思うようになった人がいる 

マスコミは法律で良い目してきた分 これからは法律がないので 甘えるなと と キャンペーンを張る。それに耐え切れず心を病むもの。 地域から離れるものが出てくる。

2024年5月1日水曜日

物質の富を求める 効率や最適化を求める

 それで良いのか 

日本 田舎への回帰 伝統の見直し 無駄の奨励

中国 豊かになるために都会へ出たものの 田舎に出ていかなかった父母がいる その生活も破壊して 効率の良い生活に変える

インド 思想や宗教は中国とは違えど 中国とよく似た方向へ向かっている

アメリカ合衆国 他の国より早く工業化が進み自動車社会 情報社会にはなったが 全員がそれを臨んでそうなったわけではない.ヒッピーが生まれ アーミッシュが生まれ ベトナム反戦運動が起こった。

GDPではアメリカ合衆国 中国 インド ドイツより 小さい日本

別のものを求めて良いはずだ。SDGSと叫んで誰一人取り残されない社会にしようという風潮がある 。いつも 同じものを 一人の人が のぞんでいるわけではない 息抜きや 旅行もする 月火水木金土日 月火水木金金 毎日が日曜日 いろんな生き方を 人間はする

2024年4月17日水曜日

一茶が柏原の人の評価が低かったことに関して

 一茶が柏原に戻った頃の句は 柏原の暗い風景が読み取れるものが多い。何か下品だがその下品さを見せながら 文学作品にしている一茶の凄さがあると私は思っている。

是がまあ つひの栖か 雪五尺

ほちゃほちゃと 雪にくるまる 在所かな

ゆうぜんとして山を見る蛙哉

あの月を とってくれろと 泣く子哉

はつ雪を煮 喰けり 隠居達

雪とけて 村いっぱいの子ども哉

すごいと思いませんか。

2024年4月16日火曜日

一茶の評価

 先日 あるかたの家を訪れ漬物をあてにお茶を飲んでいた。そのときに信濃町の経済状況とその変化の話になって 小林一茶のことが話題に上がった。80歳を超える御夫婦だ。 今でこそ一茶はとても歓迎され評価も高いが自分たちが若い頃はそうでもなかった。評価は信濃町では低かったとのことだ。一茶の俳句でも信濃町での暮らしは快適なものでなかったとわかるはずと おっしゃっていた。そう言われてみると 彼は 死ぬときには土蔵の中で暮らしていた。

見かぎりし故郷の桜咲きにけり とある。また やけ土のほかりほかりや蚤さはぐ とも詠んでいる。うつくしや障子の穴の天の川。

あまり いい生活はしてはいないが とにかく 柏原が すき だったのではないかと思われる。 全国を旅し関東にも住んでいたが 最後には 柏原に住んでいる。 やっぱり 柏原がすきだったのかもしれない。

 一茶の句に 雀の子そこのけそこのけ お馬がとおる という 有名な句がある。大名行列で柏原が 潤ってきたので 詠んだものだろう。  農業や産業で柏原が潤っていたのではないと 私は想像する。

 江戸時代末期 柏原は景色はよいが そんなに 裕福な町ではなかったのではないか。一茶は 近隣の町村に 出かけていって泊めてもらったり食事をごちそうになったりしている。そして俳句を詠んでいる。 文化的ではあるが生産者ではなかったと思われる。

 江戸時代には他に芭蕉と蕪村がいる。 芭蕉は伊賀の出身ではあるがなくなったのは大垣。ずっと旅をしていた。 蕪村は 大阪の毛馬あたりの出身だが 与謝に行ったりしているが ほとんどは 京都四条、松原や京都の南の方の菜の花がたくさん咲いているところにいた。なくなったのは松原あたりかもしれない。大阪の毛馬には帰ってはいない。

 3人の俳人を見ても 一茶はあちこち行ったが 結局は生まれ故郷の柏原に帰ってきている。 私は 裕福ではないが景色の良い柏原が好きだったのではないかと 思っている。

2024年4月11日木曜日

わたしのASD ADHDと言う診断名にたいする考え方

 FBにすでに投稿しましたが 失われるといけないので blogに 書いておきます。

ふと思った ASD ADHD がよく話題になっている。 医師の立場とすれば 困った本人や家族が 目の前に現れた場合 なんとかせねば と 思う。そう思う医師が ほとんどだ。 医師は 患者に対して 治療するが その手順は 診断して 治療するという手順で 行われる。従って すでに出来上がったASD ADHD という診断名に 目の前の患者を 当てはめて しまうことになる 症例が多いのだ。また 自分で治療しない場合 臨床心理士などに 指示を与えることが多い。指示を与える時に ASD ADHD という名前があると 便利だ。  そのようにしてASD ADHDという診断名が一人歩きを始めるのだ。  よく考えてみよう。 家族や本人がどう訴えようとも 目の前にいるのは A さん B さん Cさんであって ASD ADHDではないのだ。一人一人 個性がある。 病気と言ってしまうと 便利ではあるが 個性がなくなってしまうのだ。   治療を間違える可能性があるのだ。

2024年3月29日金曜日

保険診療を始めた若い医師の抱く葛藤

 物を売買して 生計を立ててきた人にとって 保険診療をして儲ける医者は お金の回収が簡単なので気楽なもんだと 思っている かもしれない。

 それは 保険診療を始めた若い医者の葛藤でもある。人が悪くなれば患者として 収入の対象となる。よくなれば患者ではなく 医者にかかることはなくなるので収入はなくなる。 お金の面から言えば 患者を治さなければ収入が続く ということになる。 人をよくしよう 困ってきている人を 治したいと 思う 医者にとっては 治さないほうが儲かるという 診療とは なんなんだ という 葛藤が生ずるのである。 

 それをどうやって解消していくか。

1 病気にならなければ 収入が増えるという制度に変える。

2  収入のことは考えず とにかく 困っているひとの話を聞き 困らなくする そのことに喜びを感じながら 生活する。

3 少しは収入のことを考え 貧乏にならない程度 医業が続けられる程度にお金を稼ぎながら 患者を診る

4 収入が増えることを 第一に考え 評判を落とさない程度に医業を続ける。

そんな風に考えながら 人それぞれで 医者を続けている。

2024年3月27日水曜日

 情は大切ではあるが

流されるものではない

人口減少

 東京一極集中 地方の人口減少は 昔からあるが 日本列島全人口が減っている中で 地方の人口減少が目立ち始め 不都合が 生じて居る。人口減少が加速して居るようにも見える 。 企業や地方組織の役員や働き手の無さが 目立って居る。 どうしたものか。

 かつての 家を中心にした 社会では 家の存続が 重視された。 長男は家督を継ぐ。二男三男は都市に出る。後継がいなければ養子をもらう。 というルールによって 家を継続してきたのだ。

 そのルールは崩れている。 家の存続より 個人の意思や自由が 尊重されている。 後継がいなくても 離れて住み 自分で選んだ職業につき 宗教も選ぶ。 

 そうであれば 自然と 東京一極集中 地方の人口減少となるのである。

 更に 地方の人口減少について 当然の事として考えたり改善しようとしない人がほとんどだ。

 特に 地方では地方のことを考える人もいなくなっているのだ。

 ではどうしたら良いか。



居酒屋

 テレビでは 老若男女問わず 居酒屋 飲酒 おつまみ作りの番組が 大流行りである。 

 ネットルール コンプライアンス重視 最適化や多様性尊重の狭間で 疲れている人が 多い。言い換えれば 良いこととされているが それに適応したいが できていない と言う 欲求不満を抱えている人が多い。

 そういう人たちの疲れや欲求不満を治したり 解消する場所。それが 居酒屋 となって 流行っているのでは ないか。

 愚痴を聞く人がいるところ お咎めなしで ものが言えるところ 変な振る舞いをしても 許されるところ そうゆう所を求めて居るのではないか。

 ネットでのチャット も 一部 居酒屋の代わりをしているかもしれない。


2024年3月23日土曜日

逆流 regurgitation

 丸まった姿勢になりたくないので枕を低くした。

夜中 逆流が起こった 鼻の中にも 酸っぱいものが入っていって 目が覚めた。 

酸は止めたくないし 姿勢は良くしたいし。薬は飲みたくないし 手術なんてもってのほか。

あとは 体重減らしてお腹をへっこますだけ。

年寄りだ。


2024年3月22日金曜日

ある古代史本のムック

 ムックはムックか。原著じゃない。事実かどうかわからないことでも 既成事実として描かれている。そんなものなのかもしれない。 ムックばかり読んでいると疑うことを忘れ ある方向にしか 進められなくなるかもしれたい。 自然と最適化されていくのかもしれない。

2024年3月18日月曜日

今日朝刊休みだが 先日の工藤会の親分の記事が目に止まった。

 親分が 捕まらなくて下っ端が捕まる。 派閥のトップがお咎めなしで秘書や下っ端議員が捕まる。 構図がとても良く似ています。

けれど だんだんそんな事も言ってられなくなっている。 今回は死刑は免れたものの無期懲役。 国会議員もそんなふうになればいいですね。

2024年3月16日土曜日

拘束について

 NHKや信濃毎日新聞でにぎやかな信越病院の拘束事件に関連してです。

かなり以前ですが病院での拘束が問題となって 原則拘束はしないと医学界で決めたときのことです。

ある患者さんをある病院に紹介したときのことです。病院にお見舞いに行ったときに偶然に知っている患者さんが拘束されているのを見つけました。帰り際に看護師に 拘束はいけないことだと注意しました。 その夜 同じ医師会のメンバーだった病院の院長から電話がありました。うちは 安易に拘束するような病院ではないと。  だいぶあとになってからも 同じようなことを言われた記憶があります。 その院長はずっと拘束した事実を悩んでいたのだとわかりました。

 いろんな都合ががあります。あまり考えない人は 結構簡単に人を拘束します。 なれると拘束することが当たり前と感じるようになる人もいるかも知れません。信越病院で200件の異常が見つかったと報道されていました。それらが不適切でないと判断する信濃町は 異常です。

 動物に麻酔銃を打って 動かなくするのも多くは愚かな人間のすることかもしれません。

 精神科で暴れる患者を薬で大人しくさせるのも似ています。 される人もする人もいろんな都合がありますが 大抵はする人の都合の事が多いのです。

 街の中で暴れる人がいて知人に呼ばれたことがあります。警察や精神科病院の許可を得て鎮静剤を注射して精神科病院に救急車で運んだことがあります。忘れられない出来事です。 人を拘束するのは 嫌なものなのです。


2024年3月11日月曜日

河原町今出川の梶井町の角

 

大学振興会から寄付の依頼が来た。この場所は私の京都の出発点です。大学受験の時この場所に受験者用の宿を府立医大が斡旋していたのです。京都駅から15番の市電で 河原町今出川?出町?でおりました。 市電駅の名前に河原町丸太町などへんてこな名前が出てきてどこで降りたらよいのか 迷いました。立派な門をくぐると洋風の古びた家のようでした。そこから受験場所の近畿予備校に今出川通りを歩いて通いました。その宿から合格したのは私ともう一人学者になった奴がいました。 試験が終わった後ポスターにみちびかれ 京都会館のフランシスレイのコンサートに行きました。「男と女」の映画音楽ダバダバダの音楽家です。あの音が電子的に増幅されたアコーデオンの音だと初めてみて知りました。私がいなくなったので 家の者が心配したそうです。後で聞きました。  そんな思い出深い場所に大学が子供の患者家族の宿泊地を作るなんて、感心しました。吹田の大阪万博の次の年でした。相当昔のことです。

2024年3月5日火曜日

人の位置 発言

 位置の座標 x 学歴 y職業 Z年齢

y職業は 好んでそれを選んだのか 選んだから変化したのかわからない

x学歴は ある程度が決まると なかなか変化しにくいものかもしれない。

z年齢は 自分では変えることはできないが 病気にならないようにすると120才ぐらいまでは生きられる

2024年2月29日木曜日

一つでなんでもありというのは むりだろうと思う。

この病院の例にあるように 一つの医療センターで 全部賄おうというのは無理です。
あのwindowsだって 多数の企業や人のアイデアやソフトを買収してきました。
現在大企業は多数の自治体や大学などと連携協定を結んでいます。
イオンモールは多数のテナントが入っています。イオンは小売業と言うより不動産会社です。世の中はそんなものなのです。

ただ連携するのでも 一つだけでは そちらがポシャれば頼るところがなくなります。複数必要です。

2024年2月28日水曜日

本 発達障害の内側から見た世界 兼本浩祐著

 講談社選書メチエ

この本のカバーの後ろ側に



という文章が載っている。この本の内容を短い文章でうまく言い表しているように思う

2024年2月27日火曜日

普段何気なく使っている 数字 “1”

 1が存在するかわからないけれど 便宜上

あるxの関数で xが極端に大きくなった時

1 に 収束するかもしれない と 言うことを

“1” とあらわして 使っているのかもしれない。

と ふと思った。

2024年2月24日土曜日

スマホばっかしでは

 iphone で聞いていたグレングールド airplay で別の音源の音を聞いて 思い出した。グレングールドはやっぱり ピアノを弾く時唸っている。うなりの意味は何なのかを 考えざるを得ない。 スマホばっかしでは うなりは聞こえない。

2024年2月22日木曜日

本 発達障害の内側から見た世界 兼本浩祐 著 講談社選書

 ある精神科医の書いた本だ。自分を自分で考えて書いている本だ。DCD ASD ADHD について

発達障害ではない。自分は発達障害ではないと 思っている という観点から書いている。 特に診断、了解という 精神科医として の職業で しなければならないことではあるが それ自身が 単に 発達障害とレッテルを貼ったことに過ぎず なんの 意味もない。 自分自身とその周辺の人との関係を 悪くするかもしれないと 思っている。そういう観点から 書かれた本だ。 現代は 人類が生き延びるためには多様性を求めているという 考え方が一般的になってきている。だから DCD ASD ADHDが 人間の多様な一部として 考えるようになってきている。 一方 DCD ASD ADHD の人は 差別されていると思うことが少ないが 診断をつけられることによって 生きづらさを 感じているかもしれない。 と 主張している本だ。

2024年2月21日水曜日

本 チャットシステム構築実践入門

 吉田真吾 大島勇樹 著 技術評論社

Howto本は好きではないが 世間ではあまりに生成AIの話題がいっぱいなので つい のぞいて見たくなった。

その はじめに ⅲ に良いことが 書いてあった。

生成AIのように一見すると魔法のような技術を、科学的な手法の一つとしてとらえて、システムの一部ないし 大部分として活用できるようになるための入口として、最適な一冊になることを狙って、本書を書いて見ました。





2024年2月13日火曜日

ウクレレ漫談 ネタ帳

 今度 スマホ教室 やってくれるんだって

いいんじゃない 誰が教えるんだい

D社の人だって

俺はA社の使ってんだ。料金が安くなるように、詐欺に遭わないように 教えてほしいなー

そんなの教えてくれるわけがないでしょ

だって D社が儲かるようにしか教えてくれないよ。

あーあーあー 嫌になっちゃうよ

あーあーあー 驚いた

ウクレレ漫談 ネタ帳

 駅伝の参加者を募集中と聞いたよ

小中学生の部と大人の部だって

ふーん 健康寿命が伸びていいよなー

あれー 駅伝って5人ぐらいのチームで走るんだね。

そうだね。それがどうした。

このご近所には 骨粗鬆症か病院通いの人か寝たきりの人しか いないよ。

あっ そうだったなー

あーあーあー いやんなちゃうよ

あーあーあー 驚いた


ヨーロッパのトラムと言う番組

 放送の余った時間にNHK はヨーロッパのトラムと言う映像を流している。 ふと思った。都市の中でトラムの働きがとても大きい。 人を計画したところに運んでくれる。風景の中の一つ。 自動車のように孤立 隔絶された空間ではない。顔が見える。トラムがあると大都市だと覚えてくるしそこに住んでいると言う自覚や誇りが出来る。 宇都宮ライトレールに行ったが 宇都宮市が大都市に変身していくように見えた。

京都市の今出川通にトラムを通そうと言う計画があった。その時はあの狭い道に 邪魔だと思っていた。 今から思うと トラムが都市生活には必要なものだと 覚えてくる。

2024年2月12日月曜日

仕事をやめて散歩と読書に徹しては居るが

 読みたい本がどんどん増えて 死ぬまでに読めないと思うようになってきた。 無駄な本は読まないようにする工夫が必要だ。 本のまえがきには 著者が何を言いたいのか どんな手法を使って 研究したのか 書いてあるはずです。本を買ってまえがきをゆっくり読むとわかることが多い。だいぶ時間を省くことができる。

2024年2月11日日曜日

本 比較 ゲノムでたどる古代の日本列島 東京書籍 と アースダイバー 神社編 講談社

 二つの書物は よく似た 時代 縄文時代から弥生時代から古墳時代の 日本列島の様子が

書かれている。 しかし その内容が まったく異なる。 ゲノムのほうは 科学的の知見に基づいて書かれていて 言語表現を排除しようとしている。アースダイバーのほうは少しの事実からいろんなことを結び付けて想像力豊かに言語表現も上手に書かれている。 前者はいわゆる科学者、遺伝学者によって 書かれており、後者は人類学者 哲学者によって 書かれている。 私は前者の書物のほうが読みやすく好きだ。 しかし人類学者や哲学者によって想像されたものを 科学者、遺伝学者が1つ1つ 裏付け捜査をを行っているとも 考えられる。

ウクレレ漫談 の ネタ帳

 病院つくろうよ。本当かい。あんた作って そこに行くのかい。

あんたのかみさんがびょうきになったって 聞いたよ。どうするんだい。

隣町の病院に行くよ。マイカード見せりゃ診てもらえるよ。 30分もあればね。

あーあーやんなっちゃうよー あーあーおどろいた。


お孫さん今年受験だって?

運そうさ。

何処受けるの。

賢いと娘が言ってたから 多分東京の有名大学。

ところで あんた腰が曲がってきたけど お孫さん娘さん田んぼしないの。

しない、東京の変わったやつが やってきて 田んぼやると聞いたよ。

ふーん そうかい。ふーん そんなもんかい。

あーあーやんなっちゃうよー あーあーおどろいた。


2024年2月8日木曜日

本 謎の平安前期 榎村寛之著 中公新書

 平安遷都は奈良の仏教の乱れがあり桓武天皇が日本を建て直すために遷都したと言う認識がある。遣唐使の空海や最澄が日本に戻ってきて 手伝ったようにも思っていた。遣唐使 中止。円仁で終い。その後日本独自の文化が作り上げられていき 源氏物語 枕草子が作られていく。 わたしの頭の中ではそうだった。 しかし この本では 仏教や遣唐使についての記述が 少なすぎるように思う。さてAmazon推薦のこの本を読んでみよう。

2024年2月7日水曜日

新しい 若者向け保険 の アイデア

 ある生命保険会社のクローズドの懇談会に行けることになった。ふと 保険について考えてみた。 保険の多くは 保険の多くは保険料を払って 事象が発生した場合に 保険金を受け取るという形である。日本の社会保険の一つ医療保険では保険料を払って 疾病という事象が発生したばあい 診療という現物給付にて 保険金を受け取っている。 また もう一つの日本の社会保険の一つ介護保険では 保険料を払って 介護が必要と言う事象が発生した場合 介護という現物給付によって 保険金を受け取っている。 (当初は 現金の給付金もあったが すぐになくなった。)というように考えることができる。 介護保険法ができて25年経つが殆どの日本人は 介護はお金で という 考え方に変わってしまった。 そして あまりに 介護保険を使っての介護が 急速に増大したため 保険料が高騰し、保険金 つまり 介護 が 支払えるか 分からなくなってきているのである。 厚労省は 一時的に介護を減らすために 介護予防や 健康寿命という考え方を 導入している。 包括ケアという言葉も使っている。

さて 保険会社の役割として 新しい若者向けの保険を 作ることを思いついた。 まず 介護という自己負担を減らすための保険であることである。 

介護という事象を減らすために できることを考えてみた。ほとんどの保険は事象が発生したあとで保険金をいただくことになっている 今から述べる保険は 事象が発生しないようにする保険である。

1.保険料払う

2.介護が発生しないように 考え方、生活習慣を 勉強という形で 保険金 を 受け取るというものである。 

ふと 思い出した。私は京都府立医科大学の公衆衛生学の大学院を出ている。 日本語では公衆衛生学ではあるが英語では 川井啓市教授はPriventive medicine と読んでいた。 詭弁のようではあるが 医学の予防は1次2次3次があって 「何をやっても」 予防なのだといわれていた。掴みどころのない スタッフは バラバラなことをやっていた。 ただ 毎週 一週間の研究の中身を発表することに 追い詰められていた。人のふんどしで相撲をとっても良いがオリジナリティーは追求された。研究費を稼ぐための方法を細かく教えられもした。

2024年1月31日水曜日

本 増補改訂アースダイバー 中沢新一著 講談社

 前書きに書いてある。ようやくすると 災害や地殻変動に対して 縄文人が うまく適応していった。その事を現代の都市研究に役立てたい。さらに増補改訂版では 初版で使っていた 証明されていない造語 煽り 詩的な妄想部分を可能な限り削除した。と 私は要約した。 この方は 哲学者のようだが 正直な人だと思った。自分の著作物に対して反省している。

2024年1月22日月曜日

社会保険の各サービスに対する評価方法が確立することを望みます。

 社会保険を利用した保険には 医療保険、介護保険、介護予防保険 が あります。

それぞれの保険には 様々なサービスがあります。

医療保険には 投薬、手術、診療などがある。それらのサービスを受けるには病名がつけられる。

介護保険には デイサービス、ヘルパー派遣、訪問看護、特別養護老人ホームなどがある。それらのサービスを受けるには要介護認定が必要となる。医療保険の病名に相当する。

介護予防のサービスには 明確なサービスが定義されておらず それらのサービスを受ける必要条件も明確ではない。


医療保険の病名と投薬などの関係は厳密な適用され審査も厳しい。サービスの種類も

中央社会保険医療協議会などで決められ法律と同じように発表される。

介護保険の サービスは 介護保険ができたときから ほとんどかわっていない。 サービスを受ける必要条件である要介護認定は 少しずつ変わってきている。国民にはわかりにくいが 要介護度が当初より軽く出るのではないかとの疑問がいつもつきまとっている。

一方介護予防については 介護保険が国民に浸透したあとで 政府が盛んに言い出したことのように 見える。

さて 本日の目的は 医療、介護、介護予防の 各サービスの 評価法の確率なのだ。
医療保険のサービスの一つである薬。 この評価はとても厳密に行われている。発売前には治験があり 病名適応も厳密、サービスの担い手の医療機関が 間違おうものなら診療報酬は得られない。保険医停止もあり得る。

介護保険では 介護認定で許された介護サービスを利用しても 自費となるか介護報酬が得られない程度だ。 しかしそのサービス自体の効果がしっかりと評価が得られていないのが実情だ。 医療保険の薬と同程度の評価方法があってしかるべきではないのか。

また 介護予防サービスについては サービスを利用する対象者が不明瞭、サービス内容についても不明瞭。これでは評価がいつになったらできるのかわからない。

政府は国民全体の医療費負担、介護費負担を減らすことを 目標としているが、 その中で介護サービスを評価することも考えることが必要だ。

2024年1月6日土曜日

本 日本国債入門 服部孝洋著 金融財政事情研究会

 久しぶりの東京 丸の内の丸善 入ったすぐのところにこの本があった。 銀行マンなどと話すことによって 日本国債に対する考え方が ほぼ身についていた。 この本を読むと 私の日本国債に対する 考え方の 裏づけのように しっかりとわかりやすく書かれている.日本国債のことを知らない人にとって とても良い本だと思う.