2024年5月3日金曜日

本 満州に渡った朝鮮人たち 李光平写真文 せ

 世織書房  信濃毎日新聞に載っていた本です。前の大戦の時 日本から満州に移動させられた朝鮮人の 写真集と文です。 朝鮮民族はユダヤ人の次に在外人口が多いと書いてあります。  日本人は今でこそ海外で生活する人が増えていますが ほとんど日本列島に住んでいます。 朝鮮民族とは全く違います。 もともと日本人は朝鮮半島などから 弥生時代古墳時代に日本列島にやってきて 縄文人など複雑に混血した 結果の民族とされています。遣唐使が廃止されるまでは 朝鮮民族を尊敬して助けられていたように見えます。江戸時代でも朝鮮人を暖かく迎えていたようにも見えます。しかし 関東大震災以降は極端に朝鮮人を差別しているようにみられます。 この本は 特に日本人に差別された朝鮮人の証拠写真のようです。

なぜそのようになったのでしょうか。 聖徳太子の時代 日出ずるところの天子うんぬんという文章がある。中国には支配されないという強い意志がある。一方中国軍を当てにしたり 中国軍の通り道として自国を使わせた 歴史が朝鮮半島で見られた。私の教えられた歴史で は そのようになっている。 これから なぜそのように差別するようになったのか いろいろ勉強してゆきたい。

私の幻想 怖い話

 ある昆虫Aが 温暖化のため大量発生するようになった。農作物は不作に見舞われた。そこでAが大量発生しないように オスAの精子が少なくなるようなエピゾームを組み込んだ。Aの大量発生はなくなり徐々にその数を減らしていった。しめしめと思っていたが そのエピゾームが他の昆虫にも感染し始めた。ある食物の受粉を促していた昆虫がへりある食物は取れなくなった。様々な食物の収穫は徐々に減り 食糧危機が地球全体に起きた。フードナショナリズムによって戦争が起こった。そして人類も滅亡していった。

ジャンジャン。

2024年5月2日木曜日

同対法 ある時 ない時

 本 寝た子なんているの 見えづらい部落差別と私の日常 上川多実著 里山社


時限立法だった同対法 同和対策事業特別措置法が  2002 年  3 月 に無くなった.

1965年成立 1969年施行。 自分なりに考えてみた

1 視線の変化

2マスコミの変化

3住む所の変化

4同和教育で住んでいる地域が差別の頑強と学んできたのではないか

5法律がなくなって視線の変化を強く感じるようになった。 差別するとその仕返しが怖いので目立った差別はしなかった人がいる 法律がなくなったのでおおっぴらに差別できると思うようになった人がいる 

マスコミは法律で良い目してきた分 これからは法律がないので 甘えるなと と キャンペーンを張る。それに耐え切れず心を病むもの。 地域から離れるものが出てくる。

2024年5月1日水曜日

物質の富を求める 効率や最適化を求める

 それで良いのか 

日本 田舎への回帰 伝統の見直し 無駄の奨励

中国 豊かになるために都会へ出たものの 田舎に出ていかなかった父母がいる その生活も破壊して 効率の良い生活に変える

インド 思想や宗教は中国とは違えど 中国とよく似た方向へ向かっている

アメリカ合衆国 他の国より早く工業化が進み自動車社会 情報社会にはなったが 全員がそれを臨んでそうなったわけではない.ヒッピーが生まれ アーミッシュが生まれ ベトナム反戦運動が起こった。

GDPではアメリカ合衆国 中国 インド ドイツより 小さい日本

別のものを求めて良いはずだ。SDGSと叫んで誰一人取り残されない社会にしようという風潮がある 。いつも 同じものを 一人の人が のぞんでいるわけではない 息抜きや 旅行もする 月火水木金土日 月火水木金金 毎日が日曜日 いろんな生き方を 人間はする

2024年4月17日水曜日

一茶が柏原の人の評価が低かったことに関して

 一茶が柏原に戻った頃の句は 柏原の暗い風景が読み取れるものが多い。何か下品だがその下品さを見せながら 文学作品にしている一茶の凄さがあると私は思っている。

是がまあ つひの栖か 雪五尺

ほちゃほちゃと 雪にくるまる 在所かな

ゆうぜんとして山を見る蛙哉

あの月を とってくれろと 泣く子哉

はつ雪を煮 喰けり 隠居達

雪とけて 村いっぱいの子ども哉

すごいと思いませんか。

2024年4月16日火曜日

一茶の評価

 先日 あるかたの家を訪れ漬物をあてにお茶を飲んでいた。そのときに信濃町の経済状況とその変化の話になって 小林一茶のことが話題に上がった。80歳を超える御夫婦だ。 今でこそ一茶はとても歓迎され評価も高いが自分たちが若い頃はそうでもなかった。評価は信濃町では低かったとのことだ。一茶の俳句でも信濃町での暮らしは快適なものでなかったとわかるはずと おっしゃっていた。そう言われてみると 彼は 死ぬときには土蔵の中で暮らしていた。

見かぎりし故郷の桜咲きにけり とある。また やけ土のほかりほかりや蚤さはぐ とも詠んでいる。うつくしや障子の穴の天の川。

あまり いい生活はしてはいないが とにかく 柏原が すき だったのではないかと思われる。 全国を旅し関東にも住んでいたが 最後には 柏原に住んでいる。 やっぱり 柏原がすきだったのかもしれない。

 一茶の句に 雀の子そこのけそこのけ お馬がとおる という 有名な句がある。大名行列で柏原が 潤ってきたので 詠んだものだろう。  農業や産業で柏原が潤っていたのではないと 私は想像する。

 江戸時代末期 柏原は景色はよいが そんなに 裕福な町ではなかったのではないか。一茶は 近隣の町村に 出かけていって泊めてもらったり食事をごちそうになったりしている。そして俳句を詠んでいる。 文化的ではあるが生産者ではなかったと思われる。

 江戸時代には他に芭蕉と蕪村がいる。 芭蕉は伊賀の出身ではあるがなくなったのは大垣。ずっと旅をしていた。 蕪村は 大阪の毛馬あたりの出身だが 与謝に行ったりしているが ほとんどは 京都四条、松原や京都の南の方の菜の花がたくさん咲いているところにいた。なくなったのは松原あたりかもしれない。大阪の毛馬には帰ってはいない。

 3人の俳人を見ても 一茶はあちこち行ったが 結局は生まれ故郷の柏原に帰ってきている。 私は 裕福ではないが景色の良い柏原が好きだったのではないかと 思っている。

2024年4月11日木曜日

わたしのASD ADHDと言う診断名にたいする考え方

 FBにすでに投稿しましたが 失われるといけないので blogに 書いておきます。

ふと思った ASD ADHD がよく話題になっている。 医師の立場とすれば 困った本人や家族が 目の前に現れた場合 なんとかせねば と 思う。そう思う医師が ほとんどだ。 医師は 患者に対して 治療するが その手順は 診断して 治療するという手順で 行われる。従って すでに出来上がったASD ADHD という診断名に 目の前の患者を 当てはめて しまうことになる 症例が多いのだ。また 自分で治療しない場合 臨床心理士などに 指示を与えることが多い。指示を与える時に ASD ADHD という名前があると 便利だ。  そのようにしてASD ADHDという診断名が一人歩きを始めるのだ。  よく考えてみよう。 家族や本人がどう訴えようとも 目の前にいるのは A さん B さん Cさんであって ASD ADHDではないのだ。一人一人 個性がある。 病気と言ってしまうと 便利ではあるが 個性がなくなってしまうのだ。   治療を間違える可能性があるのだ。

2024年3月29日金曜日

保険診療を始めた若い医師の抱く葛藤

 物を売買して 生計を立ててきた人にとって 保険診療をして儲ける医者は お金の回収が簡単なので気楽なもんだと 思っている かもしれない。

 それは 保険診療を始めた若い医者の葛藤でもある。人が悪くなれば患者として 収入の対象となる。よくなれば患者ではなく 医者にかかることはなくなるので収入はなくなる。 お金の面から言えば 患者を治さなければ収入が続く ということになる。 人をよくしよう 困ってきている人を 治したいと 思う 医者にとっては 治さないほうが儲かるという 診療とは なんなんだ という 葛藤が生ずるのである。 

 それをどうやって解消していくか。

1 病気にならなければ 収入が増えるという制度に変える。

2  収入のことは考えず とにかく 困っているひとの話を聞き 困らなくする そのことに喜びを感じながら 生活する。

3 少しは収入のことを考え 貧乏にならない程度 医業が続けられる程度にお金を稼ぎながら 患者を診る

4 収入が増えることを 第一に考え 評判を落とさない程度に医業を続ける。

そんな風に考えながら 人それぞれで 医者を続けている。

2024年3月27日水曜日

 情は大切ではあるが

流されるものではない

人口減少

 東京一極集中 地方の人口減少は 昔からあるが 日本列島全人口が減っている中で 地方の人口減少が目立ち始め 不都合が 生じて居る。人口減少が加速して居るようにも見える 。 企業や地方組織の役員や働き手の無さが 目立って居る。 どうしたものか。

 かつての 家を中心にした 社会では 家の存続が 重視された。 長男は家督を継ぐ。二男三男は都市に出る。後継がいなければ養子をもらう。 というルールによって 家を継続してきたのだ。

 そのルールは崩れている。 家の存続より 個人の意思や自由が 尊重されている。 後継がいなくても 離れて住み 自分で選んだ職業につき 宗教も選ぶ。 

 そうであれば 自然と 東京一極集中 地方の人口減少となるのである。

 更に 地方の人口減少について 当然の事として考えたり改善しようとしない人がほとんどだ。

 特に 地方では地方のことを考える人もいなくなっているのだ。

 ではどうしたら良いか。



居酒屋

 テレビでは 老若男女問わず 居酒屋 飲酒 おつまみ作りの番組が 大流行りである。 

 ネットルール コンプライアンス重視 最適化や多様性尊重の狭間で 疲れている人が 多い。言い換えれば 良いこととされているが それに適応したいが できていない と言う 欲求不満を抱えている人が多い。

 そういう人たちの疲れや欲求不満を治したり 解消する場所。それが 居酒屋 となって 流行っているのでは ないか。

 愚痴を聞く人がいるところ お咎めなしで ものが言えるところ 変な振る舞いをしても 許されるところ そうゆう所を求めて居るのではないか。

 ネットでのチャット も 一部 居酒屋の代わりをしているかもしれない。


2024年3月23日土曜日

逆流 regurgitation

 丸まった姿勢になりたくないので枕を低くした。

夜中 逆流が起こった 鼻の中にも 酸っぱいものが入っていって 目が覚めた。 

酸は止めたくないし 姿勢は良くしたいし。薬は飲みたくないし 手術なんてもってのほか。

あとは 体重減らしてお腹をへっこますだけ。

年寄りだ。


2024年3月22日金曜日

ある古代史本のムック

 ムックはムックか。原著じゃない。事実かどうかわからないことでも 既成事実として描かれている。そんなものなのかもしれない。 ムックばかり読んでいると疑うことを忘れ ある方向にしか 進められなくなるかもしれたい。 自然と最適化されていくのかもしれない。

2024年3月18日月曜日

今日朝刊休みだが 先日の工藤会の親分の記事が目に止まった。

 親分が 捕まらなくて下っ端が捕まる。 派閥のトップがお咎めなしで秘書や下っ端議員が捕まる。 構図がとても良く似ています。

けれど だんだんそんな事も言ってられなくなっている。 今回は死刑は免れたものの無期懲役。 国会議員もそんなふうになればいいですね。

2024年3月16日土曜日

拘束について

 NHKや信濃毎日新聞でにぎやかな信越病院の拘束事件に関連してです。

かなり以前ですが病院での拘束が問題となって 原則拘束はしないと医学界で決めたときのことです。

ある患者さんをある病院に紹介したときのことです。病院にお見舞いに行ったときに偶然に知っている患者さんが拘束されているのを見つけました。帰り際に看護師に 拘束はいけないことだと注意しました。 その夜 同じ医師会のメンバーだった病院の院長から電話がありました。うちは 安易に拘束するような病院ではないと。  だいぶあとになってからも 同じようなことを言われた記憶があります。 その院長はずっと拘束した事実を悩んでいたのだとわかりました。

 いろんな都合ががあります。あまり考えない人は 結構簡単に人を拘束します。 なれると拘束することが当たり前と感じるようになる人もいるかも知れません。信越病院で200件の異常が見つかったと報道されていました。それらが不適切でないと判断する信濃町は 異常です。

 動物に麻酔銃を打って 動かなくするのも多くは愚かな人間のすることかもしれません。

 精神科で暴れる患者を薬で大人しくさせるのも似ています。 される人もする人もいろんな都合がありますが 大抵はする人の都合の事が多いのです。

 街の中で暴れる人がいて知人に呼ばれたことがあります。警察や精神科病院の許可を得て鎮静剤を注射して精神科病院に救急車で運んだことがあります。忘れられない出来事です。 人を拘束するのは 嫌なものなのです。


2024年3月11日月曜日

河原町今出川の梶井町の角

 

大学振興会から寄付の依頼が来た。この場所は私の京都の出発点です。大学受験の時この場所に受験者用の宿を府立医大が斡旋していたのです。京都駅から15番の市電で 河原町今出川?出町?でおりました。 市電駅の名前に河原町丸太町などへんてこな名前が出てきてどこで降りたらよいのか 迷いました。立派な門をくぐると洋風の古びた家のようでした。そこから受験場所の近畿予備校に今出川通りを歩いて通いました。その宿から合格したのは私ともう一人学者になった奴がいました。 試験が終わった後ポスターにみちびかれ 京都会館のフランシスレイのコンサートに行きました。「男と女」の映画音楽ダバダバダの音楽家です。あの音が電子的に増幅されたアコーデオンの音だと初めてみて知りました。私がいなくなったので 家の者が心配したそうです。後で聞きました。  そんな思い出深い場所に大学が子供の患者家族の宿泊地を作るなんて、感心しました。吹田の大阪万博の次の年でした。相当昔のことです。

2024年3月5日火曜日

人の位置 発言

 位置の座標 x 学歴 y職業 Z年齢

y職業は 好んでそれを選んだのか 選んだから変化したのかわからない

x学歴は ある程度が決まると なかなか変化しにくいものかもしれない。

z年齢は 自分では変えることはできないが 病気にならないようにすると120才ぐらいまでは生きられる

2024年2月29日木曜日

一つでなんでもありというのは むりだろうと思う。

この病院の例にあるように 一つの医療センターで 全部賄おうというのは無理です。
あのwindowsだって 多数の企業や人のアイデアやソフトを買収してきました。
現在大企業は多数の自治体や大学などと連携協定を結んでいます。
イオンモールは多数のテナントが入っています。イオンは小売業と言うより不動産会社です。世の中はそんなものなのです。

ただ連携するのでも 一つだけでは そちらがポシャれば頼るところがなくなります。複数必要です。

2024年2月28日水曜日

本 発達障害の内側から見た世界 兼本浩祐著

 講談社選書メチエ

この本のカバーの後ろ側に



という文章が載っている。この本の内容を短い文章でうまく言い表しているように思う

2024年2月27日火曜日

普段何気なく使っている 数字 “1”

 1が存在するかわからないけれど 便宜上

あるxの関数で xが極端に大きくなった時

1 に 収束するかもしれない と 言うことを

“1” とあらわして 使っているのかもしれない。

と ふと思った。

2024年2月24日土曜日

スマホばっかしでは

 iphone で聞いていたグレングールド airplay で別の音源の音を聞いて 思い出した。グレングールドはやっぱり ピアノを弾く時唸っている。うなりの意味は何なのかを 考えざるを得ない。 スマホばっかしでは うなりは聞こえない。

2024年2月22日木曜日

本 発達障害の内側から見た世界 兼本浩祐 著 講談社選書

 ある精神科医の書いた本だ。自分を自分で考えて書いている本だ。DCD ASD ADHD について

発達障害ではない。自分は発達障害ではないと 思っている という観点から書いている。 特に診断、了解という 精神科医として の職業で しなければならないことではあるが それ自身が 単に 発達障害とレッテルを貼ったことに過ぎず なんの 意味もない。 自分自身とその周辺の人との関係を 悪くするかもしれないと 思っている。そういう観点から 書かれた本だ。 現代は 人類が生き延びるためには多様性を求めているという 考え方が一般的になってきている。だから DCD ASD ADHDが 人間の多様な一部として 考えるようになってきている。 一方 DCD ASD ADHD の人は 差別されていると思うことが少ないが 診断をつけられることによって 生きづらさを 感じているかもしれない。 と 主張している本だ。

2024年2月21日水曜日

本 チャットシステム構築実践入門

 吉田真吾 大島勇樹 著 技術評論社

Howto本は好きではないが 世間ではあまりに生成AIの話題がいっぱいなので つい のぞいて見たくなった。

その はじめに ⅲ に良いことが 書いてあった。

生成AIのように一見すると魔法のような技術を、科学的な手法の一つとしてとらえて、システムの一部ないし 大部分として活用できるようになるための入口として、最適な一冊になることを狙って、本書を書いて見ました。





2024年2月13日火曜日

ウクレレ漫談 ネタ帳

 今度 スマホ教室 やってくれるんだって

いいんじゃない 誰が教えるんだい

D社の人だって

俺はA社の使ってんだ。料金が安くなるように、詐欺に遭わないように 教えてほしいなー

そんなの教えてくれるわけがないでしょ

だって D社が儲かるようにしか教えてくれないよ。

あーあーあー 嫌になっちゃうよ

あーあーあー 驚いた

ウクレレ漫談 ネタ帳

 駅伝の参加者を募集中と聞いたよ

小中学生の部と大人の部だって

ふーん 健康寿命が伸びていいよなー

あれー 駅伝って5人ぐらいのチームで走るんだね。

そうだね。それがどうした。

このご近所には 骨粗鬆症か病院通いの人か寝たきりの人しか いないよ。

あっ そうだったなー

あーあーあー いやんなちゃうよ

あーあーあー 驚いた


ヨーロッパのトラムと言う番組

 放送の余った時間にNHK はヨーロッパのトラムと言う映像を流している。 ふと思った。都市の中でトラムの働きがとても大きい。 人を計画したところに運んでくれる。風景の中の一つ。 自動車のように孤立 隔絶された空間ではない。顔が見える。トラムがあると大都市だと覚えてくるしそこに住んでいると言う自覚や誇りが出来る。 宇都宮ライトレールに行ったが 宇都宮市が大都市に変身していくように見えた。

京都市の今出川通にトラムを通そうと言う計画があった。その時はあの狭い道に 邪魔だと思っていた。 今から思うと トラムが都市生活には必要なものだと 覚えてくる。

2024年2月12日月曜日

仕事をやめて散歩と読書に徹しては居るが

 読みたい本がどんどん増えて 死ぬまでに読めないと思うようになってきた。 無駄な本は読まないようにする工夫が必要だ。 本のまえがきには 著者が何を言いたいのか どんな手法を使って 研究したのか 書いてあるはずです。本を買ってまえがきをゆっくり読むとわかることが多い。だいぶ時間を省くことができる。

2024年2月11日日曜日

本 比較 ゲノムでたどる古代の日本列島 東京書籍 と アースダイバー 神社編 講談社

 二つの書物は よく似た 時代 縄文時代から弥生時代から古墳時代の 日本列島の様子が

書かれている。 しかし その内容が まったく異なる。 ゲノムのほうは 科学的の知見に基づいて書かれていて 言語表現を排除しようとしている。アースダイバーのほうは少しの事実からいろんなことを結び付けて想像力豊かに言語表現も上手に書かれている。 前者はいわゆる科学者、遺伝学者によって 書かれており、後者は人類学者 哲学者によって 書かれている。 私は前者の書物のほうが読みやすく好きだ。 しかし人類学者や哲学者によって想像されたものを 科学者、遺伝学者が1つ1つ 裏付け捜査をを行っているとも 考えられる。

ウクレレ漫談 の ネタ帳

 病院つくろうよ。本当かい。あんた作って そこに行くのかい。

あんたのかみさんがびょうきになったって 聞いたよ。どうするんだい。

隣町の病院に行くよ。マイカード見せりゃ診てもらえるよ。 30分もあればね。

あーあーやんなっちゃうよー あーあーおどろいた。


お孫さん今年受験だって?

運そうさ。

何処受けるの。

賢いと娘が言ってたから 多分東京の有名大学。

ところで あんた腰が曲がってきたけど お孫さん娘さん田んぼしないの。

しない、東京の変わったやつが やってきて 田んぼやると聞いたよ。

ふーん そうかい。ふーん そんなもんかい。

あーあーやんなっちゃうよー あーあーおどろいた。


2024年2月8日木曜日

本 謎の平安前期 榎村寛之著 中公新書

 平安遷都は奈良の仏教の乱れがあり桓武天皇が日本を建て直すために遷都したと言う認識がある。遣唐使の空海や最澄が日本に戻ってきて 手伝ったようにも思っていた。遣唐使 中止。円仁で終い。その後日本独自の文化が作り上げられていき 源氏物語 枕草子が作られていく。 わたしの頭の中ではそうだった。 しかし この本では 仏教や遣唐使についての記述が 少なすぎるように思う。さてAmazon推薦のこの本を読んでみよう。

2024年2月7日水曜日

新しい 若者向け保険 の アイデア

 ある生命保険会社のクローズドの懇談会に行けることになった。ふと 保険について考えてみた。 保険の多くは 保険の多くは保険料を払って 事象が発生した場合に 保険金を受け取るという形である。日本の社会保険の一つ医療保険では保険料を払って 疾病という事象が発生したばあい 診療という現物給付にて 保険金を受け取っている。 また もう一つの日本の社会保険の一つ介護保険では 保険料を払って 介護が必要と言う事象が発生した場合 介護という現物給付によって 保険金を受け取っている。 (当初は 現金の給付金もあったが すぐになくなった。)というように考えることができる。 介護保険法ができて25年経つが殆どの日本人は 介護はお金で という 考え方に変わってしまった。 そして あまりに 介護保険を使っての介護が 急速に増大したため 保険料が高騰し、保険金 つまり 介護 が 支払えるか 分からなくなってきているのである。 厚労省は 一時的に介護を減らすために 介護予防や 健康寿命という考え方を 導入している。 包括ケアという言葉も使っている。

さて 保険会社の役割として 新しい若者向けの保険を 作ることを思いついた。 まず 介護という自己負担を減らすための保険であることである。 

介護という事象を減らすために できることを考えてみた。ほとんどの保険は事象が発生したあとで保険金をいただくことになっている 今から述べる保険は 事象が発生しないようにする保険である。

1.保険料払う

2.介護が発生しないように 考え方、生活習慣を 勉強という形で 保険金 を 受け取るというものである。 

ふと 思い出した。私は京都府立医科大学の公衆衛生学の大学院を出ている。 日本語では公衆衛生学ではあるが英語では 川井啓市教授はPriventive medicine と読んでいた。 詭弁のようではあるが 医学の予防は1次2次3次があって 「何をやっても」 予防なのだといわれていた。掴みどころのない スタッフは バラバラなことをやっていた。 ただ 毎週 一週間の研究の中身を発表することに 追い詰められていた。人のふんどしで相撲をとっても良いがオリジナリティーは追求された。研究費を稼ぐための方法を細かく教えられもした。

2024年1月31日水曜日

本 増補改訂アースダイバー 中沢新一著 講談社

 前書きに書いてある。ようやくすると 災害や地殻変動に対して 縄文人が うまく適応していった。その事を現代の都市研究に役立てたい。さらに増補改訂版では 初版で使っていた 証明されていない造語 煽り 詩的な妄想部分を可能な限り削除した。と 私は要約した。 この方は 哲学者のようだが 正直な人だと思った。自分の著作物に対して反省している。

2024年1月22日月曜日

社会保険の各サービスに対する評価方法が確立することを望みます。

 社会保険を利用した保険には 医療保険、介護保険、介護予防保険 が あります。

それぞれの保険には 様々なサービスがあります。

医療保険には 投薬、手術、診療などがある。それらのサービスを受けるには病名がつけられる。

介護保険には デイサービス、ヘルパー派遣、訪問看護、特別養護老人ホームなどがある。それらのサービスを受けるには要介護認定が必要となる。医療保険の病名に相当する。

介護予防のサービスには 明確なサービスが定義されておらず それらのサービスを受ける必要条件も明確ではない。


医療保険の病名と投薬などの関係は厳密な適用され審査も厳しい。サービスの種類も

中央社会保険医療協議会などで決められ法律と同じように発表される。

介護保険の サービスは 介護保険ができたときから ほとんどかわっていない。 サービスを受ける必要条件である要介護認定は 少しずつ変わってきている。国民にはわかりにくいが 要介護度が当初より軽く出るのではないかとの疑問がいつもつきまとっている。

一方介護予防については 介護保険が国民に浸透したあとで 政府が盛んに言い出したことのように 見える。

さて 本日の目的は 医療、介護、介護予防の 各サービスの 評価法の確率なのだ。
医療保険のサービスの一つである薬。 この評価はとても厳密に行われている。発売前には治験があり 病名適応も厳密、サービスの担い手の医療機関が 間違おうものなら診療報酬は得られない。保険医停止もあり得る。

介護保険では 介護認定で許された介護サービスを利用しても 自費となるか介護報酬が得られない程度だ。 しかしそのサービス自体の効果がしっかりと評価が得られていないのが実情だ。 医療保険の薬と同程度の評価方法があってしかるべきではないのか。

また 介護予防サービスについては サービスを利用する対象者が不明瞭、サービス内容についても不明瞭。これでは評価がいつになったらできるのかわからない。

政府は国民全体の医療費負担、介護費負担を減らすことを 目標としているが、 その中で介護サービスを評価することも考えることが必要だ。

2024年1月6日土曜日

本 日本国債入門 服部孝洋著 金融財政事情研究会

 久しぶりの東京 丸の内の丸善 入ったすぐのところにこの本があった。 銀行マンなどと話すことによって 日本国債に対する考え方が ほぼ身についていた。 この本を読むと 私の日本国債に対する 考え方の 裏づけのように しっかりとわかりやすく書かれている.日本国債のことを知らない人にとって とても良い本だと思う.