2026年5月18日月曜日

駅の構内の手ぬぐい屋

 工事をしていて手ぬぐい屋が無かった。同じ場所で手ぬぐい屋が再開していた。私は季節の手ぬぐいを買い求めていた。通りかかった時アジサイの手ぬぐいが店頭に並んでいた。1本だけ買うつもりが4本別のデザインのアジサイを買ってしまった。アジサイのデザインがもう一つインパクトがなかった。けれど 小椋佳の 歌 を思い出して 4本も買ってしまった。その歌は アジサイの花を愛したあいつが死んだ という歌詞だ。 小椋佳はアジサイが好きかもしれないと思った。単にそれだけの理由で4本もアジサイデザインの手ぬぐいを買ってしまった。まあいいか。次回は何だろう? スイカかな。4季がなくなっていくなかでせめて手ぬぐいだけでも四季があればと思ってはちまきに私はしている。

デザインのインパクトがないのは 白いアジサイの花というか萼が無いからだとふと思った。

またまた 小椋佳の歌 真っ白な陶磁器を 飽きもせず 眺めては という歌詞を思い出した。


2026年5月17日日曜日

プロスポーツ

 選手のインタビューがさかんに放送される。

厳しい練習 追い詰める自分自身 そしてオタケビ。 最近はワンパターン。 もう結構飽きてきたのではないでしょうか。

ふるさとは遠きにありて思うもの 室生犀星

 歌 大阪で生まれた女 やさかい

を 歌って 思い出した。2つとも同じ思い。ふるさと離れたときから思う感覚だ。ふるさとでつらいことがあろうがなかろうが いったんふるさとを捨てて離れたものとして 抱く感覚ではなかろうか。 ふるさと 言う唱歌の3番目に名を挙げてふるさとに帰るという歌詞が出てくるが、私はあそこが歌えなかった。なお上げてふるさとに帰るなんてよっぽど脳天気なやつの歌だと思った。捨てたやつが帰れるはずがない。そう思うばかりだ。

NHKの最後に何を食べたいかを見て

 私には忘れられないシーンがあります。ある大病院に努めている時です。私がみていた方ではないです。胃がんで胃が閉塞していた方です。家は魚の産地です。家族がやってきたみんなで狭い個室でサシミを食べていました。ご本人は手で刺し身をつかんでおいしそうに食べていました。 そのシーンがいつまでたっても忘れられません。

2026年5月16日土曜日

早すぎると

 色々な本が出て 色んなことをおっしゃる方がいる。

私として 結構まともに見える。だから すぐに本を買ってしまう。どんどんたまっていく。

まあいいか。


今日の信濃毎日新聞

 

見出しだけを読むと一方的に貢献しているように見えますが 山崎さんは ほかの方をよく見ておられますね。そこがいいです。


匿名 流動型犯罪

 実行犯は 確かに 加害者ではあるが

脅迫などについては 被害者であると思う。

実行犯はすんなり逮捕されるが ホッとしたかもしれない。