2018年10月31日水曜日

本 まんがキリスト教の歴史 樋口雅一著 フォレストブックス

p368 ガリレオガリレイ
私は間違っていない 安心しろカステリ 神の造られたことを正しく知ることがなぜいけないのだね?
カトリック教徒でもあるガリレオは聖書に間違いはなく、科学の法則に関することは日常の感覚に会うように表現をかえてあるのだと抗弁した。

運動会

小学校の運動会を見ていて 先生の資質が気になった。
1、準備運動 手足だけを流行りのリズムにあわせて動かすだけ。
 かつてはラジオ体操。昔の理論で上肢下肢首胸背腹胴体 その逆 最後に深呼吸。
 大学の頃 私はボート部だった。けがの無いよう 柔軟。今で言うストレッチ。
 現在もランニング番組を見ていても 準備運動はストレッチが中心。 
 この小学校の指導者はなにもかんがえていないのか

2、ケガ  運動にはケガはおきる。
  一人の男の子が ゲームをおえて倒れこんだ。起き上がれない。20秒ほどしてやっと先生らしき人がきて おこして 整列に参加させた。児童は大丈夫といったようにも見えた。先生はすぐに他のところにいってしまった。 そのあと児童はお腹をおさえ 座っていた。 しばらくして無事 一緒に退場した。その間 その児童を観察していた先生は一人も いなかった。私は何かあったら すぐ走っていって どんな処置が必要かを考えていた。 みるかぎり なにも起こらなくてよっかった。 
 学校でよく事故や事件が起きるが 先生の資質の低下が 一因となってはいないだろうか。
   

2018年10月30日火曜日

手合わせ国から手たたき国にきた2人

手合わせ国は羊の冥福を祈りながら 手を合わせ いただきますといって食事します。手たたき国は お米がとれたことを感謝して 手をたたいて いただきますといって食事をします。
手合わせ国から二人の大きな若者が手たたき国にやってきました。h君とt君です。二人ともとても強い相撲取りになりました。h君は先に横綱になりました。かしわで という手をたたくことが上手で食事をするときも手をあわせるのではなく手をたたいて いただきますをしました。いっぽうt君は十両でした。羊の肉の食事の時は必ず手を合わせて いただきますをしていました。ある日 羊の肉をたべお酒を呑んで宴会をする事になりました。横綱のh君が十両のt君を元気づける会でした。いただきますをするときh君は 手をたたき t君は手をあわせました。h君は手をたたかないから横綱になれないんだといって t君の頭をちょっと叩きました。お酒を呑んでいたので t君の頭からたくさん血が出ました。普通の人が見ると大きなケガに見えます。お相撲さんは鍛えているのでケガもすぐに直り気にしません。二人ともお相撲さんなので そのまま家に帰り t君の傷もすぐに直りました。h君はケガをさせたといって 警察に捕まり 横綱でもなくなりました。手合わせ国に帰りました。t君はそのまま相撲をつづけました。h君は かしわでと いう手たたきを自分に教えてくれただけなのに。なんで手合わせ国に戻ったのか不思議でした。 相撲がきらいになりh君も手たたき国をはなれ 手合わせ国に戻りました。 お相撲の給料が良かったので 手合わせ国で ゆっくり羊の肉をたべました。手を合わせていただきますをして 過ごしました。

2018年10月27日土曜日

忘れている

AIやcloudに 重要な考え方
ベクトル 
使わないとすっかり忘れている。
旺文社 数ⅡB 長岡亮介著
p339あたり
ベクトルの成分表示と大きさ
ベクトルの一次結合 線形結合
一次独立性 一次結合による表現の一意性
内積


2018年10月24日水曜日

働き方改革と超高齢化社会

昨日のgoogle cloud summit 大阪 
Google cloud platformの宣伝 勧誘の場ではあった。
 それが 伸びるという見通しは
働き方改革と超高齢化社会が 避けられないから 出てくる。

 超高齢化社会は 生物学的に決定されていることで 現在の政治形体で 変えられない。

 働き方改革は 人間が行うことなので どうとでもなる。
 労働について 人間は いろんな考え方をしてきた。
 働いて賃金をもらって 衣食住を 賄う。子育ても行う。という のは 現代の日本では当たり前だ。
 しかし そうでない事もいっぱい あった。
神と人 出家と在家 お布施 三昧 働かざるもの食うべからず。聖職者。軍人。口ベラし。自衛隊でも行け。サーカスにうる。奴隷。興行。芸人。エタ。ヒニン。季節労働者。労働者のバッファとしての同和地区。さんや、かまがさき。労働者階級。各カースト。寺の拝観料。遊び人。きれいなお金。よごれたかね。
 それらを見ると 現在の労働の考え方とは 違う 生き方が 働かない 生き方も いっぱいある ということが見えてくる。良いか悪いかはその時の宗教観、倫理観 階級を基にした価値観 などによる。


 

2018年10月23日火曜日

本 哲学のヒント 藤田正勝著 岩波新書

第2章 私
この章は 私 の 存在に ついて パスカル 西田幾多郎らの 考えを述べている。言語のお遊びのようだ。
 2500年前 すでに ブッダが述べ伝わっていること の 一部にしか過ぎないように思える。無の場所や気晴らし。とは 言葉の遊び 。

2018年10月19日金曜日

本 俳句世がたり 小沢信男 岩波新書

p13
千人が手を欄干や橋すずみ
 元禄の 宝井其角
両国橋の群衆と花火大会 写真
 焼夷弾の消えた空昭和23年 木村伊兵衛 写真
昭和36年隅田川の汚染で両国の花火廃止
昭和53年場所を変えて復活縁台で見えた。
ホテル ビル スカイツリー と 楽しみかたがかわる。
いざいなん江戸は涼みもむつかしき
江戸末期文久9年 一茶が 柏原に戻って。

ほんとに 句が写真が空間的 時間的に ひろがりを見せ 楽しむことができる。

2018年10月18日木曜日

2冊の本 統合失調症

1 マンガでわかる統合失調症 中村ユキ著 日本評論社
2 心病む母が遺してくれたもの 精神科医の回復の道のり 夏苅郁子著 日本評論社

2冊とも 統合失調症 を 知る には とても良い本でした。 1は 医者でない人が書いたもの 2は精神科医が 書いたものです。 2の著者は1954年生まれです。 私は 1953年生まれです。私が医師として育った環境は 差別はなく 医者の権威を振りかざす医師はむしろ軽蔑されていました。 最先端の消化器内視鏡医として 常に謙虚さが求められていました。何を行うにしても同意書を取っていました。若い医者にとって説明が行えないと同意が得られないので勉強し訓練をしました。 そのうちに 医学界も説明と同意インフォームドコンセントが当たり前の世の中になりました。 その考えは 医者をやめるまで ずっと続いていました。薬を処方するにしても 患者さんに説明をして 同意を得るということです。 私は お大事に という言葉は嫌いです。一緒に病気向かっていこうというときに 勝手にしろと言っているようなものだからです。 看護師という職業は嫌いです。医者の知識や思考力がないのに 経験だけで 大丈夫と患者さんに言ったり 愛があれば 良くなると思わせたり と いう態度をとる看護師が多いからです。 夏苅郁子医師は 同じ時代の医者であるのに 私とは全く異なった環境で医師を行っていた様です。 それが 驚きでした。  私の身近な人にも 精神疾患の人が複数いました。苦しい、困っていることが 異常では 普通の生活の延長のように思っていました。 逆に 身近な人で精神疾患に何も考えず差別的に振る舞う医者もいました。

1の本も 2の本も 統合失調症について わかりやすく 書いてあり 統合失調症を知るには とても良いと思いました。 ただ 書いてある通り とても つらくて 手に負えないときも 何度も起きます。 相談できる人が 複数いるとよいです。  医師に関しては いまだに いろんな医者がいます。けれど病院は長期入院 大量処方はできなくなってきています。

本 俳句世がたり 小沢信男著 岩波新書

この本は 筆者の日記(2020年4月から2016年10月)であり かつ 芭蕉から現代までの 先達各位の句集 である。 
 'はじめに' に どうして そんなことが成り立つのか ということが 書いてある。
 俳句、川柳、雑俳の類は、まず眼前の事象をくっきり捉える。それから空間的にも時間的にも、案外なひろがりをみせるのでした。しかも575や77の音節に乗って、こころよく。芭蕉このかたこんにちまであまたの先達各位の句集などから、おりおりにこころ惹かれる句句を手控えておこう。そうして日々の思案や感慨の、引き出し役やまとめ役になっていただくのはどうだろう。

2018年10月17日水曜日

10月20日カフェ&プレス 場所的には 欠席です。

加藤周一について 立命館土曜講座にいきます。
加藤周一没後10年。
昨年まで加藤周一について知らなかった。日本の江戸後期に科学的に仏教、神道、儒教について論文を発表した 富永仲基について 加藤周一が書いた [消えた版木 富永仲基異聞 かもがわ出版] が 最初だ。 富永仲基は 蕪村 伊藤若冲らと 同世代 四条辺り 鴨川淀川辺りで 活躍した。 信じられないくらいの読書量と分析 思考を 行っている。加藤周一も 時代は異なっても 読書量 分析 思考 を行っている。 視野は地球規模だ。 というわけで
 カフェ&プレスはこの投稿をもって出席とかえます。前回は認知症についての投稿をもって出席とかえました。 自分の記憶に段落をつけ記録するには 役にたつ 書き込みだと思っています。

2018年10月6日土曜日

立命館土曜講座

第3回加藤周一記念講演会
戦後日本と加藤周一 寺島実郎 を聴いた。
思考と感動 グローバルイランイラクを含めた点 日本の立位置 数字による具体的な思考 仏教の話 普段わたしが 述べてきた事を 権威在る方が 語ってくれた。 かえり ちゃんこ屋によった 客は日本人は私のみ。とても合理的な 注文をする チャイナドレスの女性の夫に where are you from?  上海 。i am living near here . 日本にちゃんとした 中国人が きている。 ちゃんとしないのは日本人 ばかりだ。l hope you to visit twice or more 言うのを 忘れた。


数ⅡB

数ⅡBの解析 
図形を座標に置き換えた発想はだれが考えたのか
知らないが。数ⅠAのものを数える よりは アホでもできるようには 書いてあった。
けれど 計算間違いをしては 進めない。悲しい。

歩く早さ

イヤホンで聴きながら マクドナルドを出て 信号を待つ。足はリズムを刻んでいる。リズムは 軽快で 早く歩きたいと思った。青になり歩きだした。リズムとともに脚も前に進んでいく。隣の女子も眼鏡の男子も同じリズムだ。なぜか同期していた。 しかし15m先ではわたしの足はおくれ リズムは乱れていた。

2018年10月5日金曜日

芸術家の具体的な本質

演奏家
 曲に向かい合ったときの感動 発見 作曲者の意図を知った驚きと喜び を 人に伝えたいと思うこと

画家 写真家 
何かを見て 感動 発見 対象物の成り立ちを知ったときの驚きと喜びを 人に伝えたいと思うこと

芸人は 人に喜んでもらう意志が強い
芸術家は 感動を共有したいという意志が強い

芸人は興行 芸術家は公演

聴く音が良くなって カメラも良くなって いろいろ考えることが出てきた。
昔の人は偉い

2018年10月3日水曜日

本 増補ヨーロッパとは何かクシシトフポミアン松村剛訳平凡社ライブラリー


旅番組で出てくるヨーロッパ中世都市。旧市街。
p72前後 城塞 司教座聖堂や建築中のトンガリ屋根の大聖堂 鐘楼が隣接する市庁舎 身分や帰属がわかる服装。聖職者と俗人(貴族市民下層民)が いた。について書かれている。

中世都市は皇帝 諸侯 司教に 支配されていた。



2018年10月2日火曜日

本 意識と脳 同じ本を買う。

またやってしまった。
先日 旅先の本屋でかって 読んでいた。 意識を 分析し 意識を幾つかの機能によって分割する。その機能を実験によって再現性の有るものとしてその存在を定める。さらに どの機能が脳の特定の部位 領域と関係が深いことを見つける。視覚なら後頭葉 記憶なら海馬 筋肉運動の記憶なら小脳皮質のような 機能と領域のかんけいである。

  という風に理解しながら読んでいると まえにも 同じ様なことを いっている人がいたなあと 思ってきた。 家に帰って 本棚を見ていると 自分が同じ本をかってしまったことに ようやく 気がついた。  
 わたしの記憶があいまいでいい加減。 いやになる。

2018年10月1日月曜日

本 ヨーロッパとは何か クシシトフポミアン松村剛訳平凡社

ユダヤ人 イスラーム 仏教 と しらないことを 読んできた。
 EU ヨーロッパは 世界史の学習 日常の暮らし のなかに 溶け込んでしまって いた。新たに ワルシャワ生まれの著者の 考える ヨーロッパとは何かを 見てみたい と 思った。
 その中心的 役割は
    ローマキリスト教
    ラテン語
    文字
    ローマ人とバルバロイ 南から北へ
              東へ
    宗教的領域>世俗的領域

 対立軸 コンスタンティノポリス
      ギリシア語  
      ギリシア正教
      宗教的領域<世俗的領域

停電に思う

大規模な停電や自家発電の燃料が持たないとか言われている。 電気の性質でいつでも需要と供給が一致してないといけないと言っている。需要と供給の間に ためる 他のエネルギーにためておく事は 出来ないのだろうか。 よく言われているのが 家庭用の蓄電池。とくに電気自動車。 リチウムイオン電池だけでないかも知れない。昔から在るのが揚げ水式の発電所。 他にも余っているときに水素と酸素に変えておく 。 他にも災害のエネルギーを何かの形で利用する事を考える。 病院 介護施設 大きな商業施設 工場 農業工場など分散して考える。とか。  これから 大きな災害は あって当たり前のように 思わないといけないのかも知れない。