2026年3月5日木曜日

記憶と照らし合わせることはできないが 変化は

 変化は 感じることができるのだ。 ピョンピョン跳ねる行為 それは 体の位置の変化を感じることができて その感覚によって 自分の存在が 認識され 生きているという実感を感じて 嬉しいのかもしれない。

自分が生きているという実感は 生物である以上 基本的に必要なものなのかもしれない。 生物が 自身が生きているという実感がなければ 無生物と同じ 感情のない物体かもしれない。

同じ物を見つける行為は一つだけの記憶で済むのでよいかもしれない。

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