パッチ・アダムス2nd
日本の大学や病院は ほとんど 患者ファースト
医者は患者からどう見られているかは アメリカ合衆国ほど気にしてはいない
患者と医者の所得がそんなに離れてはいない。かなり経済的には平等の世界
距離があるが その距離は 医者は患者に比べて圧倒的な知識を持っており さらに それまで 謙虚に勉強してきた言う自信を持っていた。患者からたくさんのこと毎日学び続けていた。その結果なのである。
私が育った京都府立医科大学大学の伝統かもしれないが
世の中にインフォームドコンセントが広まる前から 研修医はインフォームドコンセントを取るよう仕込まれた。患者が納得していないことは決してしないのだ。インフォームドコンセントの最大の出来事難関は患者が亡くなったときにその家族の同意を得て遺体を病理解剖するときだ。これを医学用語でゼクを取るという。それに同意が得られない場合 みんなが納得する医療をしてこなかった と みなされた。同意は患者家族が 医師と同じ様に科学的な目で患者や病気を見てきたかという 確認の意味合もあったように、今から思うと そう考えられる
私が開業したころからは 自分自身の投薬にも インフォームドコンセントを取っている自分に気がついた。 この本に患者は生きる自信をなくしていたと書かれていたが日本には一部の人だけだった。一部の人 とは 人から金を奪い取ろうとするヤクザの一部の。公的な金を引き出すことに慣れた一部の人同和団体の幹部。生活保護から抜け出せない 働くことにおびえている一部の人。抗がん剤で腑抜けになった人。現代では暴力に持続的にあった人や戦争で周りの人や財産を奪われた人もいるかも知れない。だ。多くは 病気でよわろうと 自分に自信があるようにも見えた。 どこにでもいるような不慣れな なりたて医師に穴子やお中元をくれたり 説教を聞かされたりした。お中元や御歳暮を家内は大変喜んでいたし感謝の気持ちを文章や手紙ハガキで書いていた。私が患者さんや家族から信頼されている証拠と思っていたと思う。最適な判断を患者さんにしていただくためには 公正な情報提供が必要だった。 勉強と 体力と 記憶力が 備わっていないと できることではなかった。
患者さんに一番良い選択をしていただくために 公正な情報提供は欠かせない。そのためには勉強が必要である
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