2025年7月31日木曜日

表現 間接的 直接的

 思ったり感じたりすることを 直接他人に伝える事を 良くないとして 私は教育を受けてきたように思う。婉曲な表現で分かりにくくしたり 本歌取りなど知識がないと分からなかったり ということを 学んできた。間接的表現は優れ直接的表現はだめと学んできた。 考えや感じたことの中身ではなく表現の仕方について学校で学んできたのではないのか。

ブルース ジャズ フォークの中には直接的表現の作品が多い。だから 一時期そういう直接的表現をしたものは 内容に関係なく 日本では嫌われたのではないか。と ふと 思った。

2025年7月29日火曜日

介護の考え方の基本

 1現代日本の考え方

 負担 という考え お金に換算する考え  それは変 本人への愛が無い人はお金に頼ろうとしてしまう。一緒にいたいと思うなら他人に任せたり施設に入れたりしない。

2認知症の基本

記憶の障害がメイン それに伴う周辺症状 という病気の本質を理解すること。

記憶の障害を治すのは困難。 足がないのを治すのが困難と同じ。

足がないとき杖使う。記憶の杖は?

本人の過去を知っている人。その人が杖となる。それが基本。

周辺症状は記憶の障害で本人が困惑するから起きる。賢い人は隠したり取りくろったりする。その気持ちがない人は激しい周辺症状は起きない。 周辺症状を減らすのは 薬 介護 リハビリ運動 音楽療法 などなど。 だらだら使い続けない。 認知症の診断をするときに 最初は必ずCTやMRを撮って 脳梗塞や腫瘍の転移などがないことをたしかめておくことだ。

ふと思った。 医者は物忘れだなとか それに伴った周辺症状だな とか 理解できても ご家族は 初めての経験 驚き 不安 そうでないと思いたくなる気持ち などを 抱えているに違いない。 そこを忘れてはいけない。

2025年7月27日日曜日

あなた自身に死が間近に迫った時

人が死んでほしくないと思うことが人を思う心です。いいかえると 人を愛しているということです。

次のことで 自分が人を思う心 他人が自分をおも心が わかります。

 

1 もうすぐ死ぬのだから 好きなことしなさい。ゆっくりしなさい。

2 死なないで

3 もう1秒でもこの世にいてほしい。先生に頼んでみる

4 勝手にしろ。知らない。

みなさんはどんな事言われたいですか。

いろんな広報をみる機会がある。

 そのままゴミ箱では ちょっと悲しい。 自治体にとって 個性がある。一つ気づいたこと。広報 役所が住民に案内をするものではある。

1 役所の組織 その場所に重きを置くもの

2 することの中身を宣伝し 人に来ていただこうと するもの

2種類に分けられる。いずれにしても捨てられないようにすることが第一だ。

最近の楽曲

 少しずつ アニメの曲や最近の歌われている曲を聴き始めている。 何故か暗い曲が多い。何かに追われ 一生懸命叫びながら逃げている。と私には見えてくる。 ゆっくり落ち着いて考えているのだろうか 私は心配になる。 大学1年の時に歌っていた西岡たかしが歌っていた曲。「紫の暗い沼に」。「何かに追われ」。などの曲の中の歌詞が思い出されてくる。あの時は直接歌詞に書かれていたが 今は 感情を楽曲そのものやアニメーションのストーリーで表現しているのではないだろうか。

2025年7月26日土曜日

みんなの夢ハウス

 与野駅近く 民生児童委員の五味さんが場所を提供

浦和区針の谷4-4-14 住宅町の真ん中。

Lineのアカウントあり 07089323510

 歌は4回目。ウクレレ奏者は元野球選手

1970年過ぎに流行った曲が多い。笹川 前原 ボーカル

2025年7月22日火曜日

本 消費者物価指数 ILOマニュアル ラルフターヴェイ著日本統計協会訳1990年月12月16日発行

 とても古い本だが みなさんが毎日目にする消費者物価指数について客観的に書かれている。

ここでこの本の意義について日本語版はしがきPⅲにしっかり書かれている。

「その消費者物価指数の方法論については、持家の取扱い、季節品目の取扱いをはじめ、国際的にみても唯一最善の方法が確立されていない部分もあり、また、指数の結果により直接利害関係を受けるものが多いため、議論の対象となる点が色々とある。」


とかかれている。古い本だが専門家が著作し専門家が訳した本だ。 この日本語はしがきを読むだけでも とても意味深いと私は思っている。

2025年7月20日日曜日

本 五つの赤い風船とフォークの時代

 アマゾンで五つの赤い風船を検索していると なぎら健壱著 五つの赤い風船とフォークの時代  アイノア 発行 という 本が見つかったので 買ってみた。まだ 読んではいないが 楽しみな本だ。なぎら健壱1952年生まれ 私1953年1月生まれ 彼が感じていたフォークの世界と 私の感じていたフォークの世界 よく似ているかもしれない し 彼が感じていたフォークの世界がどんなんだろうという ことを 知りたい 期待感もある。

2025年7月19日土曜日

cdur と 5つの赤い風船 の間 には 私の記憶に残った 曲と環境を 書くことにしよう。

 幼児期 おねしょの 常習犯だったので 保育園に行くのが 嫌だった。遅く起きて おねしょをごまかすために 替え歌をたくさん歌って 踊った。マンボが流行っていた。現地中買いの人たちが集まっていたお祭りのときは たくさんの人が流行歌を歌った。お富さんや酋長の娘など。 お祭りのお囃子はノーエ節。

両親は歌が好きな私にピアノを習わせようとしたが 金沢市片町に加藤模型店があってピアノより模型とお菓子に興味があった。小学1年のときにはピアノはすぐにやめていた。自分の意思で選んだと思う。テレビが入ってきて月光仮面や赤胴鈴之助や鉄人28号などの主題歌を歌っていた。最終は捕まったかつみしげるのエイトマンだったように思う。明治製菓のマーブルチョコレートを食べながら。

夢で逢いましょうや歌謡番組もたくさんみた。 しっかり覚えている。渥美清、谷幹一、丸山明宏、中村八大、梓みちよ、中島ひろ子、EHエリック、九重佑三子、坂本九、坂本すみこなどなど 上を向いて歩こうが でたのは小学4年生、いとこと大声で歌っていた記憶がある。歌謡番組では三橋みちやなどが主流であったがにゅうぼいすと言われた新人がデビュウしてくるのが楽しみだった。 母が合唱が好きなようだったのでミッチ・ミラーショウもよく見ていた。レコード大賞水原ひろしのくろいはなびらをテレビで見ていたが子供にはピンとこなかった。 家族でも歌ったり楽器を鳴らしたりもした。  小学4年をすぎると なぜが模型やラジオや地理や歴史やスイスなど外国に興味を持つようになった。 また 両親は洗車場や喫茶店を営むようになった。喫茶店にはLPレコードがたくさんあった。 ビリーボーンやパーシー・フェイスの音楽がきれいだと思っていた。小学高学年から中学では深夜放送に聞き入りFM放送も始まった。そこでは バロック音楽 ボサノバ 帰ってきた酔っ払いなど あたらしい刺激がいっぱい飛び込んできた。 最初に買ったLPは ボサノバのゲッツジルベルトだった。次に買ったのはテレマンのアルヒーフレコードだった。 兄とは中が悪かったが兄はピアノを続けていた。 フォークソングに興味を持った私にクラシックギターを買ってくれた。 中学3年の卒業謝恩会のときと企画音楽を作ることになった。テープレコーダーの回転数をかえたり多重に録音したり楽しんだが 企画倒れだった気がする。

高校へ入ってからは 世の中フォークソング大流行だった。 高校1年のとき ベートーベンの第九の合唱の募集をしていたので応募した。兄貴は3年だった。朝比奈隆指揮の大阪フィルで金沢市観光会館で歌った。合唱好きが集まっていた。終わったあと雪がちらついていて 最高の気分だった。ただ歌はは音痴で下手だった。学校の文化祭にも一度だけ出た記憶がある。修学旅行では田島くんが隠れてギターを持ってきていた。阿蘇の高原でみんなで合唱した。いい思い出だ。 学校の剣道場かどこかで みんなで歌っていた記憶もある。楽しかった。  何やかやで受験勉強をして 大学に入った。 なのにあなたは京都へ行くの と いう 歌が流行っていたが 自分の気持ちは 親から離れて 今日で一人暮らしをしたかっただけだった。単純な話だ。流行りのフォークソングからはみ出た 才能のあるやつが たくさんいた。 高2か高3のとき友人の部屋で聞いたビートルズのアビーロード。高3のとき朝の番組で尾崎紀世彦のまた会う日までが聞けるか聞けないかの時間帯で 自転車で学校に行っていた。私は芸術には向かず 手堅い医師を選んだ。でもしか医師だった。試験に通れば良いだけだった。医者になって人を助けようなんて考えたこともなかった。

2025年7月18日金曜日

5つの赤い風船

 大学1年2年のとき 5つの赤い風船の 歌をたくさん 小林くんと 汚い学生運動の残骸のようなところで歌っていた。けれどその歌詞が暗く 死んでいきそうな歌詞ばかりだった。この夏休みの宿題があったために大学1−2年の自分自身を思い出した。受験勉強が終わって ホッとしたのもあったかもしれない。あとから思うと自分の行動がなぜその行動を取っているのか一つ一つ自分で考えていた。小林くんも その様に見えた。生協食堂のおばさんからは お神酒徳利と言われるほど 一緒に歌っていた。それはそれで悪いとは思わなかったが 自分自身が落ち込んでいくのがわかった。サブスクが良くなったのであの頃の五つの赤い風船の曲を今は聞くことができる。ほんとに暗い。 少し経って別の友人がカーペンターズのLPを貸してくれた。明るかった。歌えないが聴いていて楽しいものだった。それ以降は 音楽から離れていたような気がする。五つの赤い風船の歌はなんとかギターを弾きながら歌うことができていた。しかしカーペンターズの曲はそうではなかった。英語の歌詞 リズムはいろいろ、楽器もいろいろだった。ほとんどの曲はギターを弾きながら歌えるものではなかった。更に授業もだんだん難しくなっていった。とくに数学 偏微分は今だにネックだ。そしてすっかり歌わなくなって行った。私の妻との結婚のこともあった。妻は小林くんの高校の同級生だった。けれど結婚式に小林くんを呼ばなかった。小林君は同じボート部の緑ちゃんと結婚したようだが わたしもだいぶあとになって知らされただけだった。後輩が井上陽水を歌っていたが ピンとこなかった。 卒業して医者になってすぐに結婚して子供が生まれたが 育てる方針でかなりの意見の対立があった。そんなことない。というのが私の口癖となった。妻からそう指摘された。大学院に行っていた時 コンピューターのビープ音を割り込ませて コンピュータをピアノの鍵盤のように コンピュータのキーボードを割り当てた。 ノートパソコンのプログラムを 娘のために作った。家内はちっとも関心を見せなかった。小さい子供にコンピュータを触らせるなんてもってのほかという態度だった。 明石市民病院に勤めるようになってカラオケスナックに受付の子が連れっていってくれた。8トラだった。その子が歌う森昌子の越冬つばめがいい曲だと思った。 しばらくして開業した。その頃YAMAHAがやっているコンピュータミュージックのコンテストがあったので打ち込みで作曲して コンテストに出した。 まあ見事に落選。他の人京大の学生はループなどを使って本格的なのに驚いた。 CDが発売されるようになった。テープの時代は終わっていった。最初に買ったCDは沢田知可子の会いたい だった。 診療所に有線440チャンネルも入れた。 カラオケスナックにも行った。午前2-4時の朝帰りも頻回だった。 そのうちお店もつぶれていき 仕事に専念せざるを得なくなった。またも音楽から離れた。 そのまま仕事をやめるまで音楽とは離れた生活をしていた。 長野に引っ越してから エレキギターを買って 思い切って先生に習った。医者をやめたので労働についてよく考えるようになった。医者を辞める少し前から関心を持っていた ブッダの教えについても 自分自身でいっぱい考えた。信濃町の風景写真と小林一茶の俳句にを並べてスライドショーにした。バックの曲を 組曲にして ミキシング 自作演奏で 作った。 けれど ビート リズムについていけなかった。 この学校に来てから Tim先生のリズムの授業は目からウロコだった。 現代の音楽が少しずつわかってきた。これが分かっただけでこの学校に入学した意味が90%は達成できた気になった。 あとはピアノ ギターが 歌いながら弾けることだ。 それから ぜひとも学校にいる間に 信濃町のご当地ソングを作りたいと思っている。

とても 私の 音楽との関わり合いの自分史は複雑だがはしょりすぎだった。

2025年7月16日水曜日

パッチ・アダムス2nd

 パッチ・アダムス2nd

日本の大学や病院は ほとんど 患者ファースト

医者は患者からどう見られているかは アメリカ合衆国ほど気にしてはいない

患者と医者の所得がそんなに離れてはいない。かなり経済的には平等の世界

距離があるが その距離は 医者は患者に比べて圧倒的な知識を持っており さらに それまで 謙虚に勉強してきた言う自信を持っていた。患者からたくさんのこと毎日学び続けていた。その結果なのである。

私が育った京都府立医科大学大学の伝統かもしれないが

 世の中にインフォームドコンセントが広まる前から 研修医はインフォームドコンセントを取るよう仕込まれた。患者が納得していないことは決してしないのだ。インフォームドコンセントの最大の出来事難関は患者が亡くなったときにその家族の同意を得て遺体を病理解剖するときだ。これを医学用語でゼクを取るという。それに同意が得られない場合 みんなが納得する医療をしてこなかった と みなされた。同意は患者家族が 医師と同じ様に科学的な目で患者や病気を見てきたかという 確認の意味合もあったように、今から思うと そう考えられる

 私が開業したころからは 自分自身の投薬にも インフォームドコンセントを取っている自分に気がついた。 この本に患者は生きる自信をなくしていたと書かれていたが日本には一部の人だけだった。一部の人 とは 人から金を奪い取ろうとするヤクザの一部の。公的な金を引き出すことに慣れた一部の人同和団体の幹部。生活保護から抜け出せない 働くことにおびえている一部の人。抗がん剤で腑抜けになった人。現代では暴力に持続的にあった人や戦争で周りの人や財産を奪われた人もいるかも知れない。だ。多くは 病気でよわろうと 自分に自信があるようにも見えた。  どこにでもいるような不慣れな なりたて医師に穴子やお中元をくれたり 説教を聞かされたりした。お中元や御歳暮を家内は大変喜んでいたし感謝の気持ちを文章や手紙ハガキで書いていた。私が患者さんや家族から信頼されている証拠と思っていたと思う。最適な判断を患者さんにしていただくためには 公正な情報提供が必要だった。 勉強と 体力と 記憶力が 備わっていないと できることではなかった。

今のところ貿易の規模は世界一だが

 アメリカ合衆国はブロック経済に向かっている。現在貿易量は世界一で 高関税にすることで アメリカ合衆国の貿易収支を黒字にしようとしている。 一方 逆に高関税にすることで貿易量が減少していく。貿易量は世界一から転落していく。したがって 単にアメリカ合衆国が一人高関税にすると単に経済規模が縮小していくにすぎなくなる。 よってブロック経済政策をとることができるのは世界一の貿易量がある時なのである。 すぐに今の政策はできなくなるのです。 とても急いでいます。 おわかりか。 貿易面からだけでなく ブロックすることで各国からアメリカ合衆国に集まっていた人が流出し 文化的にも劣化していきます。 おわかりか。

2025年7月15日火曜日

短く どうとでも捉える 言葉や曲が受ける

 コブしたり SNSの 書き込みは 短く 響きが良く インパクトがあるものが受ける。 流行る。

思考の停止。であり、 暴力的 であり、同意しないと馬鹿にされる のかもしれない。 いい傾向ではないと私には思えてきた。まだまだ 分析不足です。忘れないうちにここにメモっておきます。

2025年7月14日月曜日

いろんな人と出くわす。

 大都会で電車やバスに乗っていると いろんな人と出くわす。田舎ではそんなことはない。みなさん外に出るようになったからか、わからない。けれど一人で外に出て 家に帰ることができるというのは 良いことではないか。私は 医者としては そういう状況を作り出した政治が悪いたは思わない。一方 さまざまな人を見る目は 決して良いとは思わない。冷たく冷ややかだ。見たくない 話したくない 触れたくないと 思っている目だ。そんな人が多いのだ。調べて統計を取った訳では無いが 私にはそう見える。 例えば統合失調症で 接し難くブツブツ一人で喋っている人。ゆっくり動いて 息切れがある心不全か呼吸不全の人 立って歩くことができない車椅子に乗っている人 白杖を持った人 などなど。 声をかけたり 席を譲ったりすることは少ない。多くの人は気付かないふりをして目をつぶったりスマホを触ったりしているように見える。 あ~あ。

2025年7月13日日曜日

医学 医療の3つの流れ

 従来の医学校で学んできた 第一の流れ 診断して治療を行う という 医学医療の やり方とはことなるEBMという 第2の流れが1990年ごろから 医療の現場に入ってきた。エビデンスがないと 保険の点数にもならない という 考え方だ。第一の流れの昔から先輩の偉い先生から教わってきた 概念に変わって 統計学的に正しいと認められた証拠エビデンスに基づいて医療を行うというスタイルに変わってきた。先輩が必要でなく エビデンスさえあれば 行って良いという医療だ。 例えば Aという薬は 血栓を溶かす効果がある。手術をするよりこの薬を何日間ある状態のときに投与すると 外科手術より 100日長く生きた。 だからAという薬は延命効果があるので 使いましょう。という具合なのだ。今まで勉強してきたことが否定されたような、理屈は知らなくてもエビデンスを覚えておればよいという 暗記の世界だ。暗記がはびこる アホらしい世界に医療が変わっていった。 現在の医療はこの第2の流れが中心だ。 次に第3の流れは、人間の信頼関係が築かれれば 治らない病気がなおったり つらい症状が和らぐという医療だ。 がん治療が 疾病と気付いたときから 緩和医療が始まるという考え方に似ているが 人間の信頼関係という点では異なる。と 私は思っている。 第3の流れの病院や医療を行う人は少ない。パッチアダムスと夢の病院という本にその概念や病院の実態が書いてある。未読です。私は読んでいる途中です。

さて 医学医療にも 3つの多様性がでてきたのだ。 あなたなら どうする。

2025年7月12日土曜日

Cdur Cis

 音楽学校で 音楽の入門 コードの入門の話 が たくさん出てくる。なぜか私は以前聞いた話がたくさんある。 そんな事知ってなくてもどうでも良いが 記憶をたどると 誰から 影響を受けてきたが わかってきた。

音の呼び名 1.日本語 ハニホヘトイロ

      2.ドイツ語 CDEFGAH

      3.英語   CDEFGAB

4.ピアノの鍵盤の白鍵と黒鍵   ミファ シド は 半音で 間には黒鍵 が 無いこと

 皆さん結構当たり前に使っているが どこでだれから習ったということを記憶をたどって考えてみた。 結構暇人かな??

1のハニホヘトイロ  これは 多分母から。 母は尋常小学校ではなく国民小学校でその後母の父の影響かわからないが ミッションスクールに通っていた。 音名を ハニホヘトイロで読むように学校で言われたが それが 嫌だったというようなことを言っていた。

2の ドイツ語 CDEFGAH これは 多分 中学校か高校の音楽の先生。 高校は普通科の受験校だったが なぜか 音楽の授業は洒落ていた。レコード鑑賞はバーンスタインのウエストサイドストーリー 教科書や歌の試験はコールユーブンゲン? ペーパーテストはソナタとはだった。 未だに間違ったことを覚えている。あとで友達に聞いた。ソナタとはソナタ形式の楽曲のことだと。 私はソナタ形式に付いてちまちま長々と書いてしまった。結局はねられた。がっくりだった。 むかしの 話だ。

3.英語 CDEFGAB 多分これは 高校の時フォークソングを歌っていて コードネームのある楽譜が 英語の記載だったからだと思う。そして何より 昔は何でもかんでもアメリカ形式が 日本全体を覆っていた時代だった。

4.ミファ シドが 半音しか無いことはどこで知ったかわからないが なぜか よく知っている。 アタリマエのことで 半音と全音のマジックで曲の感じが変わるということを いつのまにか知っていた。

例えば英語読みで CEGの長調の和音が C♭EG にすると 短調になることを知っていた。

あらためて おしえられて 自分の医者という職業とは関係のない音楽の 記憶を 呼び起こしてくれた様に 思っている。 他の人にはどうでも良いことではある。 

2025年7月10日木曜日

なにか質問あるかに対して 2つ

 1 まだ何にも知らない場合

2ある程度知っているが 普段の努力自分からの試みが少なすぎて 自分の悪い 足りない わからないが 見つけられていない場合

の 2つが あるかもしれない。

期日前投票を済ませたが さて

 参議院議員選挙に対する 政権放送が行われている。各党は ちらっと聞くと いいことばかり言っているように聞こえる。各党が主張する意見の詳細がさっぱり分からない。予算 国民の意向 その政策を行った場合どうなるのかが 変わらない。候補者の人物も政権放送だけではわかりづらい。  そのためには 時間をかけた 回数の多い議論が必要であると思う。いかがでしょうか。 

2025年7月8日火曜日

保険料が高い に対する 各党の反応

 世界的に見て制度の違いや社会保障の仕組みの違いによって 自己負担の高騰と 医療や介護の費用 かかりすぎて困っています。日本は社会保険制度によって医療や介護の費用をまかなってきました。しかし少子高齢化社会 各人の医療介護への欲望の増加 医療や介護の高度化物価の高騰 などにより 社会保険そのものの危機を迎えています。イギリスはすでに医療は崩壊しているように見えます。アメリカ合衆国はオバマ政権のときに社会保険を導入しようとしましたが失敗に終わっています。 どうしたものかと やっと選挙の争点となってきました。政府の一部や厚労省官僚や日本医師会は今の状況になることは予想がついていてずっと訴えてきました。ほとんどの人は引く耳持たずでした。 政党によっては日本列島に住む一部の人ファーストを言い出しています。 ロシア、中国、アメリカ合衆国、トランプ政権は多様性を否定し ごく一部の人の一時的な利益を守ろうとしています。 歴史を見てもごく一部の人の一時的な利益を守る政策は失敗に終わっているように見えます。 さて 皆さんは 日本の社会保険制度を維持するために あるいは 社会保険制度以外の医療介護を持続するための アイデアがありますか。 私は 今のところ思い浮かびません。  

2025年7月5日土曜日

表現力やプレゼンテーション

 ネットや新しく立ち上げた企業の中には 表現力に優れているものやプレゼンテーションがうまいものなど が たくさんあります。見た目ひきつけられます。

中身 実質 考え方が わからないものが たくさんあります。  

多くは短期間で消え去るものです。  長期間にわたって残っていくものは 中身 実質が はっきりしていて 考え方がしっかりしている。 利潤や名声だけを追い求める 人やネットや企業では無いように見えます。

と 私の感想です。

2025年7月3日木曜日

例えば胃がん検診

 がん検診は がんで死ぬ人をなくすのが目的ではある。

1.例えば胃がん検診。かつては 日本の胃がんは X線の二重造影で早期胃がんを発見し、外科手術を受けて 胃がんで死ぬ人を減らせると 考えられていた。

2.   現在はどうか 。様変わりした。 ピロリ菌が発見され 胃がんのうちかなりの人がピロリ菌を持っていることがわかってきて、 ピロリ菌を胃から取り除けば 胃がんになる人がへり 胃がんで死ぬ人がへるのではないかと思われるようになってきた。

3. そのため ピロリ菌を胃から無くす方法 何歳までになくせばよいか ピロリ菌そのものが発がん物質なのか など 詳細に検討された。 そして 現在の胃がん検診の方法となっているのだ。 とても 考え方としてははっきりしているが その方法が かなり偉い医者や厚労省のなかで 検討された結果 現代に至るなのだ。

4. 一方 胃のX線の二重造影はピロリ菌の発見により影はうすい。 発見し、外科治療を行い、そうして胃がんでなるなる方がへる という 構図であって。まず 発見でも技術、発見したあとの外科手術に至るまでの 経緯、外科手術の技術 胃がんを持っていた人の体力など 評価が 難しい面がたくさんあった。 科学論文のなかには 胃がんのX線二重造影を受けたことによって胃がん死亡がへるという論文まであらわれた。 それは追試が不可能なことであった。

などなど がん検診でもいろいろなのだ。いまは 子宮頸がん 肝がん など ワクチンや血液検査 その他の検査など さまざまな角度から がん死亡をへらす試みがなされているというのが現状なのだ。いつでも進行形だ。

音もれのないヘッドホンを使ってみて

 ノイズキャンセリングや密閉型のイヤホンヘッドホンを使っていて 結構疲れていた。 音漏れのないブルートゥース接続のヘッドホンを今は毎日使っている。ビックカメラの店員さんに 音漏れのないことを確かめてもらった。自分装着していると音漏れがあるかないか分からないのだ。 外界からの音は聞こえるので 外界で何か変なことが起きているとわかるのだ。駅のアナウンスがはっきりと聞こえるのだ。 遮断と聞こえるではかなり違う。疲労感も違う。これが重要なのかもしれない。