- 災害時要援護者の発見とネットワークづくりのため、自ら希望して登録する方式で名簿を作成し、事前に地域の関係者に提供し、地域で見守る体制づくりに取り組んでいる。
- 要援護者情報の収集・共有に関しては、風水害の際に被害が頻発する地域を中心に福祉関係部局が、所要の手続きを経た上で、「要援護者名簿」を事前に作成し、防災担当部局に提供できる体制を整えている。
たくさん風景を見たい。そこにいる人の暮らしも見つめたい。 車は乗らず、自転車と電車、徒歩で行きます。2017年7月より、自転車旅行で困ったこと、こうしてよかったことをメモのつもりで記録していきます。
2023年11月14日火曜日
いわゆる災害弱者を守るという発想から の 災害時要援護者名簿の作成
2023年11月13日月曜日
病院の閉鎖が相次いでいるが。その理由は色々ある。さてあなたの町の病院はどうする
新型コロナウイルス感染症に対して日本政府がとった政策により 補助金が得られたとか 予防接種事業を行うことによって収入を得ることができた など に より 悪化していた病院経営に対し 少し改善傾向が見られたのは事実である。 しかし 経営状態が悪いのは 継続しているのも 事実である。
なぜそうなっているのか 私の経験から考えてみたい。なかなか医者ではないとわかりづらいところがある。私の家内すら簡単には分からなかった。家内は娘を医者にしようと思っていた。私は反対した。かつて 職域仲間も患者も女医差別が当たり前だった。 また日本政府の政策は医者を追い詰めているのがよく分かっていた。医者は将来すたれていく職業であることも分かっていた。
なぜわかるかと言うこと 医者がすたれていくということ 病院医院の経営はわるくなっていくこと 色々説明していきたい。
私が医学部を卒業したのは昭和53年、 インターン制度は廃止されていたが 今のような研修医制度は確立されていなかった。今は研修指定病院で研修すれば保険医になることができる制度だ。 昭和53年頃 インターンを経ていない 医師免許を取得したばかりの医者の月給は多くて30万円ぐらいだった。 数年経つと大銀行のエリートは医者の月給をすぐに超えると 言われていた。
私が開業したのは昭和63年。その頃医者の多くは所得税申告に 白色申告を行っていた。経費率が70%?認めるというものだった。1000万円の収入があるとすると700万円は経費となり 所得は300万円 その分の所得税税金を払えば良いです。というものだった。例えば実際の経費が100万円ですんだとすると 1000万円の収入があると実際は900万円の所得があるのに 経費率70%で 白色申告すると300万円ぶんの所得税しか払う必要が無いということだった。 それで 開業医は実際の経費を下げようと努力をした。使い捨ての注射器や注射針は使わず自分のところで消毒した。薬の問屋からの買取価格を超安値にした。従業員の給料も安く抑えた。 ゴルフも自腹を切ることはなかったかもしれない などなど である。ところが昭和63年?からは白色申告の経費率は最大50%までしか認めませんということになった。 つまり1000万円の収入があるのに500万円の経費をかけると 500万円の所得となり トントン。 私は経費がいくらになるか見当がつかなかったので 昭和63年から青色申告にすることにした。白色申告は採用しなかった。
そのうち白色申告で認められる経費率もどんどん下がっていった。 いまは経費がどんどん高騰し1000万の収入を得るのに950万かかっているかもしれない。多分ほとんどの医療機関は青色申告をして、しっかり経費を申告していると思う。
つぎに社会保険制度からみていく。 国民皆保険によってすべての日本国民が保険料をしはらい、全国どこでも同等高度の医療を保険証一枚見せれば受けることができる仕組みだ。
少子高齢化、国民の医療を受けたい要求の増加、 保険料と国家の社会保障費の投入では 国民の医療要求には応えられなくなってきた。 社会保険による医療の破綻が目の前に迫ってきたのだ。 存続するためにあの手この手が 考えられてきた。 医療を充実すると国民の人気が高まるが医療を減らすと国民の不満が高まる。 国民にわからないように医療をへらすことが 政策として考え出された。 病院医療から在宅医療へ。医療から介護へ。介護も施設サービスから在宅サービスへ。 また医療費そのものをへらすため薬価をさげたり、薬による収入が 医療費の支出になるので、調剤薬局に分散させたり、ジェネリック医薬品の推奨を行ってきたりした。 そのことは 直接医者の収入減となっている。 などなど なりふり構わない厚労省の医療保険制度維持の施策には 医者うんざり。また 質の悪いジェネリック医薬品のために 死亡者が出る事件にまでなった。 もうこの施策は 限界に達している。 しかし、それに変わることが あるかといえば無いというのが現状だ。 保険料だけをとって保険医療をうけるな というのは あってはならない。 質の高い医療を保険証1枚で全国どこでも受けられるというのが 日本人の誇りではある。
2023年11月10日金曜日
言語に代表される一般化やアナログ的なものの省略
Facebookのいいねボタンが使われはじめた時の戸惑いを 覚えているだろうか。 その書き込みや画像が いいね だけでは 伝わらない いろんな思いがあったのにと 思われた方は多いはずだ。 今は いいねボタンの種類が増えている.人によって いいねボタンの役割をきめているかもいます。見ましたよ とか 感動した とか どうでもいいねとか よくないのに見てしまったご苦労様 とか 色々です。 アンケート調査でも良くあります。対象者とか方法とか いい加減なアンケートに多いですが。 この製品は良いですか 悪いですかの2値しかないも。 yesもnoもいろんなyes noがありますね。 結構そんなものにならされていると思いませんか。 音の場合は アナログデジタル変換技術が進んで 簡単には 聞き分けられ無くなっています。 ことばは何かの現象を代表しているものですが だいたい言葉が代表している現象が共通であるという認識で普段は生活しています。 言葉の持つ意味が人によって違うと思い始めると 生活できなくなります。適当なところで妥協しているのです。
私たちは一般化したがる存在ではありますが 一般化をやり過ぎると 見えるものも見えなくなってしまいます。気をつけましょう。
2023年11月8日水曜日
秋の叙勲
長年 民生委員をやってきた人には 天皇陛下から 勲章が贈られる。町の職員が長年勤めても 勲章はもらえない。 町の職員にこきつかれようが
民生委員は国が認める厚労大臣が辞令を出す人びとなのです。お忘れなく。
2023年11月7日火曜日
信濃町の将来像として観光と農業の振興をうたっているがそれで良いか。
観光については インバウンド、流行、感染症など 不確定要素が多い。またかつては スキーブームなどで 信濃町は潤ったらしいが 今はすたれている。
農業についてはどうか。柏原周辺の耕作地を見ると大変なことが見えてくる。農作業に出ているのは 高齢者と農機具屋さんの職員だ。機械と農薬を使って かろうじて 維持しているのが見える。小川には魚はおらず 子供達はフナをとったこともなくどじょうすら見られない。 果たしてこれが 10年後にはどうなっているのだろう。
また 大きな企業が農業法人として進出してくるかと言うこともあるが その様子は見えない。信濃町に移住したり、リタイアして農業を営んでいる人が それで生活できるかと言えばごく一部かもしれない。稼げる人は少ない。 隣の飯綱町と比べても 収穫できる作物が少なく量も少ない。コストもかかる。
歴史的に見ても 柏原村または町は 江戸時代には年貢が安かった。農作物が取れないのだ。江戸末期には 人の移動が盛んになり旅籠などで潤うようになった。また農機具などの鍛冶屋集団も存在した。文化人としての小林一茶も自分の力で食料を得ていたと考えられる。農業ではないのだ。
近年はブルーベリーやとうもろこしなどの農作物が作られるようになったがそれでたくさんの人を養っていくのは無理があるように見られる。
結局 信濃町や柏原は農業を基幹産業として農業を 振興していくには難しいのではないか。と言うのが私の結論だ。
2023年11月4日土曜日
本 英訳一茶100句集 ほおずき書籍
村いっぱいの
子どもかな
は有名な句です。
この英訳は素晴らしい this is good time too for adults ,who are happy to see the children play
2023年10月29日日曜日
個人情報保護法ができから無責任時代の到来したようにも思う。
個人情報保護法は 平成15年(2003年)5月に制定され、平成17年(2005年)4月に全面施行されました。
私は都会の超高齢社会の中で仕事をしていました。高齢者人口の 割合は 増加していますが、 高齢者 人口そのものが 減少しているところでした。そして 外国人観光客がどんどん増え始め昼間人口はめちゃくちゃ多いのですが夜間人口は繁華街を除いて極端に少ないところでした。
法律が施行されるまでは 様々な変化に対応しようとネットワークシステムづくりが 盛んでした。ところが 法律が施行されと ほとんどのネットワークシステムの構想は消失しました。そして 今まで 個人情報を取り扱ったことのない 多くの人々は身を引きました。 罰せられるのが怖いのです。 数年経って 役所中心でしたが あるプロジェクトを 立ち上げることになりました。 高学歴の人やで専門職の多い地区でしたので、会議には意見をしっかり述べることが多かったです。私はその会議のとき プロジェクトを作り上げて、誰がスイッチを押すのか、意思決定をだれがするのかということを 質問しました。 ある中高年の方が 私がしますと はっきり述べられました。 とても 驚きましたが 逆にホッとしました。 その後そのプロジェクトは 動き出していることを確信しています。
そこのとを 思い出したのには 理由があります。 こちらに 引っ越してから 個人情報保護を盾に何もしなくなったり、逃げている人が たくさんいると 思うようになりました。 責任も取らないかわりに 何もしないで逃げる。そんな人が多いのです。 親がそうであるなら 子供は去っていきます。そのようにも思うのです。 なにかに気づいて何かをするには人を傷つけることもあります、責任を取らなくては行けない場面もあります。 しかしそこから逃げていては 何もできません。 と 私は思っています。 責任ある立場は立候補するのでは無く くじ引きや一定の順番で決めてしまおうという考え方も 同様です。 さて これからどうしたものか。