2023年11月7日火曜日

信濃町の将来像として観光と農業の振興をうたっているがそれで良いか。

 観光については インバウンド、流行、感染症など 不確定要素が多い。またかつては スキーブームなどで 信濃町は潤ったらしいが 今はすたれている。

農業についてはどうか。柏原周辺の耕作地を見ると大変なことが見えてくる。農作業に出ているのは 高齢者と農機具屋さんの職員だ。機械と農薬を使って かろうじて 維持しているのが見える。小川には魚はおらず 子供達はフナをとったこともなくどじょうすら見られない。 果たしてこれが 10年後にはどうなっているのだろう。

また 大きな企業が農業法人として進出してくるかと言うこともあるが その様子は見えない。信濃町に移住したり、リタイアして農業を営んでいる人が それで生活できるかと言えばごく一部かもしれない。稼げる人は少ない。 隣の飯綱町と比べても 収穫できる作物が少なく量も少ない。コストもかかる。

歴史的に見ても 柏原村または町は 江戸時代には年貢が安かった。農作物が取れないのだ。江戸末期には 人の移動が盛んになり旅籠などで潤うようになった。また農機具などの鍛冶屋集団も存在した。文化人としての小林一茶も自分の力で食料を得ていたと考えられる。農業ではないのだ。

近年はブルーベリーやとうもろこしなどの農作物が作られるようになったがそれでたくさんの人を養っていくのは無理があるように見られる。

結局 信濃町や柏原は農業を基幹産業として農業を 振興していくには難しいのではないか。と言うのが私の結論だ。

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