2024年1月31日水曜日

本 増補改訂アースダイバー 中沢新一著 講談社

 前書きに書いてある。ようやくすると 災害や地殻変動に対して 縄文人が うまく適応していった。その事を現代の都市研究に役立てたい。さらに増補改訂版では 初版で使っていた 証明されていない造語 煽り 詩的な妄想部分を可能な限り削除した。と 私は要約した。 この方は 哲学者のようだが 正直な人だと思った。自分の著作物に対して反省している。

2024年1月22日月曜日

社会保険の各サービスに対する評価方法が確立することを望みます。

 社会保険を利用した保険には 医療保険、介護保険、介護予防保険 が あります。

それぞれの保険には 様々なサービスがあります。

医療保険には 投薬、手術、診療などがある。それらのサービスを受けるには病名がつけられる。

介護保険には デイサービス、ヘルパー派遣、訪問看護、特別養護老人ホームなどがある。それらのサービスを受けるには要介護認定が必要となる。医療保険の病名に相当する。

介護予防のサービスには 明確なサービスが定義されておらず それらのサービスを受ける必要条件も明確ではない。


医療保険の病名と投薬などの関係は厳密な適用され審査も厳しい。サービスの種類も

中央社会保険医療協議会などで決められ法律と同じように発表される。

介護保険の サービスは 介護保険ができたときから ほとんどかわっていない。 サービスを受ける必要条件である要介護認定は 少しずつ変わってきている。国民にはわかりにくいが 要介護度が当初より軽く出るのではないかとの疑問がいつもつきまとっている。

一方介護予防については 介護保険が国民に浸透したあとで 政府が盛んに言い出したことのように 見える。

さて 本日の目的は 医療、介護、介護予防の 各サービスの 評価法の確率なのだ。
医療保険のサービスの一つである薬。 この評価はとても厳密に行われている。発売前には治験があり 病名適応も厳密、サービスの担い手の医療機関が 間違おうものなら診療報酬は得られない。保険医停止もあり得る。

介護保険では 介護認定で許された介護サービスを利用しても 自費となるか介護報酬が得られない程度だ。 しかしそのサービス自体の効果がしっかりと評価が得られていないのが実情だ。 医療保険の薬と同程度の評価方法があってしかるべきではないのか。

また 介護予防サービスについては サービスを利用する対象者が不明瞭、サービス内容についても不明瞭。これでは評価がいつになったらできるのかわからない。

政府は国民全体の医療費負担、介護費負担を減らすことを 目標としているが、 その中で介護サービスを評価することも考えることが必要だ。

2024年1月6日土曜日

本 日本国債入門 服部孝洋著 金融財政事情研究会

 久しぶりの東京 丸の内の丸善 入ったすぐのところにこの本があった。 銀行マンなどと話すことによって 日本国債に対する考え方が ほぼ身についていた。 この本を読むと 私の日本国債に対する 考え方の 裏づけのように しっかりとわかりやすく書かれている.日本国債のことを知らない人にとって とても良い本だと思う.

2023年11月27日月曜日

音楽のある風景シリーズ より 青春の歌風景とMy Memories  で 思うこと

 この2つの 全集は 当時の原曲を忠実に再現してくれている。itunesなどでスマホクラウドにためていると 良い音で聞ける。

2つの全集に収められた曲の発売当時の日本の世相が敏感に反応していることがよくわかる。2023年70歳の私だから より わかるような気がする。

歌は世につれ世は歌につれという言葉がかなり真実に近いような 気がしてくる。 結構 はっきりわかることだが1970年昭和45年あの万博の年が大きな境目 歌の世界も日本も大きな境目だったんだということだ。 私が京都に来て大学に通い始めたのが1971年4月昭和46年4月だ。学園紛争が一息ついて大学の小さなキャンパスは無気力感であふれていた。 何かをすべきだが あの ただ暴力で暴れまっくた学園紛争のようには なりたくないという思いが沸いていた。 1970年までに歌っていた歌は陳腐なものになっていた。1971年に何を歌ったらよいのかどうしたらよいのかとても迷っていた。18歳という 年齢は迷って当たり前なのだが 日本も 作詞家も迷っていたと 思う。この年になるとそれが わかる。  1971年は狂乱物価 物の価値が変わっていく年だった。1972年昭和47年にはあさま山荘事件が起きている。

年順に 歌を並べてみたいと思う。ほかで乗っている曲も並べてみた。

1967年 帰って来たヨッパライ ザフォーククルセダーズ

1967年 この広い野原いっぱい 森山良子

1967年 血まみれの鳩 五つの赤い風船

1968年 亜麻色の髪の乙女 ヴィレッジシンガーズ

1968年 小さな日記 フォーセインツ

1968年 遠い世界に 五つの赤い風船

1969年 恋は風に乗って 高田渡・五つの赤い風船

1969年 白い色は恋人の色 べッツィ&クリス

1969年 希望 フォーセインツ

1969年 イムジン河 ミューテーションファクトリー

1969年 風 はしだのりひことシューベルツ

1969年 夜が明けたら 浅川マキ

1969年 ひとり寝の子守歌 加藤登紀子

1969年 或る日突然 トワエモア

1969年 時には母のない子のように カルメンマキ

1969年 白いブランコ ビリーバンバン

1970年 秋でもないのに 本田路津子

1970年 希望 芹洋子

1970年 今日でお別れ 菅原洋一

1970年 圭子の夢は夜ひらく

1970年 手紙 由紀さおり

1971年 しおさいの詩 小椋佳

1971年 花嫁 はしだのりひことクライマックス

1971年 あの素晴らしい愛をもう一度 加藤和彦&北山修

1971年 戦争を知らない子供たち ジローズ

1971年 琵琶周航の歌 加藤登紀子

1971年 竹田の子守歌 赤い鳥

1971年 翼をください 赤い鳥

1971年 カレーライス 遠藤賢司

1971年 さらば青春 小椋佳

1971年 自転車にのって 高田渡

1971年 よこはまたそがれ 五木ひろし

1971年 また逢う日まで 尾崎紀世彦

1972年 プカプカ 西岡恭蔵

1972年 結婚しようよ よしだたくろう

1972年 少女 五輪真弓

1972年 学生街の喫茶店 ガロ

1972年 春夏秋冬 泉谷しげる

1972年 ケンとメリー~愛と風のように BUZZ

1972年 ぼくの好きな先生 RCサクセション

1972年 傘がない 井上陽水

1972年 夏休み よしだたくろう

1972年 赤色エレジー あがた森魚

1972年 だれかが風の中で 上条恒彦

1972年 瀬戸の花嫁 小柳ルミ子

1973年 神田川 かぐや姫

1973年 てんとう虫のサンバ チェリッシュ

1973年 夢の中へ 井上陽水

1973年 あなた 小坂明子

1973年 心もよう 井上陽水

1973年 母に捧げるバラード 海援隊

1973年 僕の贈り物 オフコース

1973年 家をつくるなら 加藤和彦

1973年 ひこうき雲 荒井由美

1973年 心の旅 チューリップ


1974年 以降は いい曲が ヒットしていた。 


1974年 白い一日 小椋佳

1975年 めまい 小椋佳

1977年 冬の稲妻 アリス

1975年 卒業写真 ハイファイセット

1976年 どうぞこのまま 丸山圭子

1977年 雨やどり さだまさし

1977年 渚のシンドバッド ピンクレディー

1978年 君のひとみは百万ボルト 堀内孝雄

1978年 時間よ止まれ 矢沢永吉

1979年 関白宣言 さだまさし

1979年 魅せられて ジュディオング

1980年 異邦人 久保田早紀

1980年 青い珊瑚礁 松田聖子

1980年 SACHIKO ばんばひろふみ

2023年11月25日土曜日

救急車とご近所

 田舎の医療が提供不足となっていると救急車が都市医療機関に搬送することがより重要となってきている。救急車が来ないと救えるものも救えないのだ。

さて 25年くらい前までは 救急車がサイレンを鳴らしてくると ご近所からたくさんの人が見に来たものだ。 いまはそんな光景は見られない。 こんな田舎町でも見られない。

なにが 変わってきたのだろう。

1.サイレンが鳴り響いても まわりに 聞く人がいない。高齢者は動けないし、聞こえない、住んでいる若者は遠くに働きに行っている。ご近所は寝るだけ。 あるいは人が住んでいないかもしれない。

2.サイレンを鳴らさないできてほしいと救急隊に要請する。

3.近所に救急患者が発生しても自分には関わりのないことと思っている。ご近所とは無関係の生活ができている。 ご近所が入院しようが死んでいようが どうでも良いと普段から思っている。ご近所の家が空き家になっていて時間が経っても知らないで生活できる。

いろいろだ。  昔が良いという訳では無いが 実質の医療がなくなってきている現在、救急搬送はますます重要になってきているのだ。


2023年11月15日水曜日

病院の医師が週一回病院を抜け出して 他のところに行って何をしているか。いろいろ。

 今と昔とでは随分違うと思うが私の経験から考えられること。大学の医局や教授の力があった頃とそれがなくなってしまったところでは随分違うとはおもう。

1,教授のちからが強かったときは 関連病院から医師を呼び戻して大学の研究室で 1日実験や研究をさせていました。ときには学会発表の準備や論文を書かせていました。

2,別の病院に行っていただき そこの医師に技術を教えたり、そこで 外科手術を行ったり、症例を集めて研究発表に用いていました。 

3,別の病院や大学で勉強したり最新治療を習得するためにでかけていきました。

4,新たな医療地を開拓する、広めるための下地づくりに行っていました。

5,別の病院で外来と当直を請け負ってバイト料を頂いていました。


などなど病院から医師が週一回抜け出して何をしていたのか 紹介させていただきました。

これは 都会の病院も田舎の病院も医療の質の向上や医師の医療技術の向上には 大変役に立っていたのは事実です。 もちろん田舎の病院への医師の派遣にも貢献しておりました。  

2023年11月14日火曜日

いわゆる災害弱者を守るという発想から の 災害時要援護者名簿の作成

  • 災害時要援護者の発見とネットワークづくりのため、自ら希望して登録する方式で名簿を作成し、事前に地域の関係者に提供し、地域で見守る体制づくりに取り組んでいる。
  • 要援護者情報の収集・共有に関しては、風水害の際に被害が頻発する地域を中心に福祉関係部局が、所要の手続きを経た上で、「要援護者名簿」を事前に作成し、防災担当部局に提供できる体制を整えている。

内閣府から 各自治体に要援護者名簿の作成の要請が来ている。 地域の実情をよく知る民生委員の方が その作成に協力するのは 合理的ではある。 一方その名簿の内容とその使われ方は 地方自治体が責任を負うものである。要援護者の命を守る、あるいは災害の種類によってはいち早く避難所に運ぶ というのが その目的である。 
 リストに基づいて個々の方をどうやったら命を守ることができるかの 検討がなさねばならぬ。 また どうやったら 内容を防災担当部局にタイムリーに報告共有できるか が 検討されなければならる。
 単なる 要援護者名簿を作るだけ、体裁を整えるだけでは意味がない。  助かるものも助からない。