わたしあなた という歌詞があるとする。
1小節のおわりに16分音符2つに わた と割り当てるときと
1小節のおわりに16分音符3つに わたし と割り当てるとき を かんがえる。
どちらでも16分音符で刻んでいれば すぐに対応できる。8分音符で 1小節を8つに刻んでいては3つにわたし と割り当てたときに タイミングが取りにくい。
ということなのだ。
たくさん風景を見たい。そこにいる人の暮らしも見つめたい。 車は乗らず、自転車と電車、徒歩で行きます。2017年7月より、自転車旅行で困ったこと、こうしてよかったことをメモのつもりで記録していきます。
わたしあなた という歌詞があるとする。
1小節のおわりに16分音符2つに わた と割り当てるときと
1小節のおわりに16分音符3つに わたし と割り当てるとき を かんがえる。
どちらでも16分音符で刻んでいれば すぐに対応できる。8分音符で 1小節を8つに刻んでいては3つにわたし と割り当てたときに タイミングが取りにくい。
ということなのだ。
リモートや伝達講習など、DVDによる 代行。など 相変わらずだ。政府のやり方。どこかの天下りの法人がやっていそうな匂いぷんぷん。
さて 中身のことだ。 今さらながら 自助 互助 共助 公助 と 地域包括ケアの 話が出てきた。
ピンとくる人いますか。
介護保険制度ができて25年。 25年前 家には老人しか残らず 介護や看護を どうしたらよいか問題であった。 いわゆる老人病院に押し込めてしまう、あんなところに親を預けて お金やコネのある人は違うといわれた時代だ。 高齢化社会に向けて 大きな期待をもって導入されたのが公的介護保険制度だった。 保険料を払っていれば 介護認定を受けていれば ヘルパー、入所などの介護保険サービスが お安く 受けられるという制度だ。
当初の予想に反して 介護認定 介護保険サービスを受ける人は急増。 現在 社会保険である 医療保険制度、介護保険制度は 崩壊の危機にある。 医療費の高騰、介護保険料の高騰に 多くの方が苦しんでいる。 それが 現状です。
それらを少しでも 危機から逃れようとする 政策。
公的介護保険は 共助にあたります。 自助 互助を 増やして 共助を減らしましょうということです。
自助 は 健康寿命を延ばそう。 互助 は ご近所のそこじから、絆 です。 公助は 生活保護などの医療扶助 介護扶助です。
地域包括ケアは 自助 互助 共助 公助の 最適化 いかに効率よく お金をかけないかということです。
この講習会で 改めて 政策の意図 方向性を思い出すことが出来ました。
孫のギターを弾いている姿を見てふと思った。
楽器は身体とくっついている。音を出したとき 耳から入ってくる音だけではなく 身体に伝わる振動もある。その振動は感じると同時に体自体も共鳴共振する。更に床にもエネルギーが伝わる。 ソリッドギターを見ると電気信号がアンプを通して音となり 耳から聞こえるのだ。身体に感じるものは楽器からくる振動ではなくアンプを通しての空気の振動だけだ。鼓膜の振動は微妙な音も聞き分けるが 大音量出なければ身体に感じることは少ない。
身体に感じる音も音楽の重要な要素かもしれない。
時々アコースティックギターを弾きたくなるのはそのせいかもしれない。
社会の最適化は進んだが 一方 若者の選択肢や希望は かなり狭まった。 チェンジや変革を望む声はあるが 何をどうしたいのか わからないままだ。 知恵をつける機会も失われた。
日本の社会保険制度を見れば それらのことは 理解できる。 是々非々、や 小手先 や 最適化 では どうしようもなくなっている。
科学技術も良かれと思ってやっと事が 裏目に出ている現象が目立っている。
さて 私達は どんな意思をもって 進むべきか。鼓舞するだけでは だめだ。
皆さんの市町村ではいかがでしょうか。
首長は一番にコロナ禍からの立て直しを公約に掲げているのではないでしょうか。
水害や地震災害では一人でもなくなれば 大変なこと 。被害にあった人に対して 災害公営住宅を提供したり、 災害を防ぐための地形の変更や建築が 行われます。 それが 普通です。
さて コロナ禍からの立て直し、再生や立て直しを するとはどういうことでしょうか。
コロナによる被害は どんなものだったのでしょうか。 一人以上複数はなくなっておられます。 感染者はきちんと数えられていますか? 拡大を防ぐために 多大な予算が計上されているはずです。 あるいは生活困窮の方に お金や生活物質を提供し続けると 思われます。 さまざまな因果で税収の減少もあるはずですが、予算は組めるものなのでしょうか。
首長の公約に対して議会は 追求したり、実行性の検討をしたのでしょうか。
よくみてみましょう。
今朝 鼻出血で目が覚めた。右の鼻の穴からドロッっと流れる。枕にもついている。さかずき一杯もない。 すぐに 止まる。
ここ3年で3回あった。 全身の病気の一部ではなさそうだと思っている。
老年にみられる 小さな出血は 結構多い。皮下出血、目の強膜の出血、頭蓋内の小さな出血
そして 今回見た鼻出血。
いずれも 小さな静脈が詰まるかなしかして薄い血管が破れて出血したものでは無いかと思っている。出血の前は血の小さな袋ができてそれが痛みの原因となることも多いかもしれない。
原因はわからないが 細い静脈の血管の細胞への ウイルス感染ではないかと 私は疑っている。
殆どは見た目は悪いが 時間が経つと跡形もなくなってしまうのでは無いかと思っている。
すべて 私の 想像だ。 こんなことは 誰も研究しないし 研究しても 役には立たず、診断学の一部を濁すだけかもしれない。
在宅での死亡でもいろいろある。死亡に至る疾患にもよる。 見たい家族や周囲の人がいて1週間から長くて1か月の間に 亡くなるのがちょうどよい。 短すぎては後悔が残る。長すぎては 疲れてきて 早く死んでほしいと望むようになる。
悪性腫瘍の場合、出血や痛みが伴うことが多く それを覚悟しないひとは在宅で見られない。 呼吸器疾患や循環器疾患の場合 呼吸困難や息切れ喘ぎが多い。酸素を与え少しでも楽になればと思う。 それも見る人の覚悟がいる。 いずれも 本人は死にたくないと思っていることが多い。 したがって見る人も 一生懸命になる。
一方認知症の末期は どうなっていくのか 見当がつかない。 食べ物を拒否することもよくある。 脱水になって苦しむことは分かっていても拒否することがある。 見る人 本人の 関係にも 大きく左右される。
在宅の医者は 悪性腫瘍にならないように、成人病にならないように 検診をすすめたり、生活のアドバイスをする。それが仕事のようなものだ。しかし、在宅で死を迎えるには悪性腫瘍や成人病のほうが 良いかもしれない。上記の理由からだ。 一方、認知症の発症を防ぐことは難しい。さらに介護も難しい。共に暮らすのも難しい。 どうしても お金で解決したり、施設に行ってもらったりしてもらう人が多い。 これからの課題なのだ。