2019年12月26日木曜日

日本と朝鮮半島の関係

雄略天皇 万葉集の巻頭歌
アサヒネットから引用(http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yuryaku.html)
天皇御製歌

籠こもよ み籠こ持ち 堀串ふくしもよ み堀串ぶくし持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 名告のらさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我われこそ居をれ しきなべて 我われこそ座ませ 我われこそば 告のらめ 家をも名をも (万1-1)

【通釈】おや籠を、籠を持って、おや箆(へら)を、箆を持って、この岡で、菜を摘んでおいでの娘さんよ。お家を聞かせてくれよ。お名前おっしゃいよ。大和の国は、すっかり俺が治めているんだ。あたり一帯、俺が治めているんだ。ではまず、俺の方から名乗ろうよ、家も名前も。

【語釈】◇籠 菜を入れるための竹製の容器。◇掘串 菜を掘るための道具。竹や木で作ったヘラ。◇そらみつ 「大和」の枕詞。語義・掛かり方未詳。神武紀によれば、饒速日命が天磐船に乗って空から大和国を見て天降ったので「そらみつやまと」と言うようになったという。

【補記】万葉集巻頭歌。

【他出】鎌倉後期に編纂された『夫木和歌抄』(静嘉堂文庫蔵本)には雄略天皇御製として次のような形で載る。
 こけころも ちふくしもよ みふくしもて このをかに なつむすこか いゑ(ママ)さけ

【主な派生歌】
里人の家をも名をも花がたみかたみにとひて若菜をぞつむ(飛鳥井雅親)
朝菜つむ野辺のをとめに家とへばぬしだに知らずあとの霞に(*下河辺長流)
しばの野に葛引くをとめ家のらへ此野づかさに葛引くをとめ(*楫取魚彦)
霞たつ春野のさはに袖ひぢて若菜つむ子が家とはましを(本居宣長)
我が岡の雪間にもゆる初わかな家も名のらで摘むは誰が子ぞ(幽真)

この万葉集 埼玉県稲荷山古墳鉄剣、中国の宋書倭国伝 などが 雄略天皇が大和にいたことを示している。 それでも このころ 跡継ぎを作る相手は朝鮮半島からやって来た女性のようには あちこちに書いてある。 ミトコンドリアDNAを 調べれば何かわかるかもしれない。 日本人の源流 斎藤成也著河出書房新社 には 日本列島に住む人が日本列島に波状的にやって来た人の混血であることが示されている。 
 その後の壬申の乱がおきるまでの間でも 大和政権と朝鮮半島の政権は 親戚関係のような交流がある。 テレビや電話もない時代に どうして やり取りしていたのだろうと思うくらい 親密だ。 文化交流や宗教伝道のようなつながりではない。親戚だ。

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