2019年2月22日金曜日

研修医のとき 病歴管理室

私は卒業して昭和53年公衆衛生学教室に入った。教授の川井啓市から 大阪鉄道病院で 研修を受けるように 言われ そこで2年間の研修医生活を送った。 大阪鉄道病院は当時の国鉄の病院で 社会保険とは別に 国鉄社員とその家族を 診る病院だった。 なぜその病院に行けといわれたか、明確な理由があった。大阪鉄道病院には病歴管理室があったのだ。日本の結核の診療体系は鉄道病院のデータをもとに、作られた経緯があった。
 病歴管理室には専門の看護婦が当たっていた。カルテは整然と保管庫に納められ、インデックスもしっかりついていた。カードで検索でき みたいカルテがすぐに出てくる仕組みとなっていた。
ある年の急性肝炎の患者のカルテ と 頼んでおくと 夜には 箱に入ったカルテが用意されていた。
 研修医のときパーソナルコンピュータが発売され大阪日本橋の電気屋からアメリカ製のものを買った。カシオからはプログラマブル電卓が発売されそれもよく使った。 
 データ作りとデータ処理を実践することが研修であった。

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