2024年5月3日金曜日

本 満州に渡った朝鮮人たち 李光平写真文 せ

 世織書房  信濃毎日新聞に載っていた本です。前の大戦の時 日本から満州に移動させられた朝鮮人の 写真集と文です。 朝鮮民族はユダヤ人の次に在外人口が多いと書いてあります。  日本人は今でこそ海外で生活する人が増えていますが ほとんど日本列島に住んでいます。 朝鮮民族とは全く違います。 もともと日本人は朝鮮半島などから 弥生時代古墳時代に日本列島にやってきて 縄文人など複雑に混血した 結果の民族とされています。遣唐使が廃止されるまでは 朝鮮民族を尊敬して助けられていたように見えます。江戸時代でも朝鮮人を暖かく迎えていたようにも見えます。しかし 関東大震災以降は極端に朝鮮人を差別しているようにみられます。 この本は 特に日本人に差別された朝鮮人の証拠写真のようです。

なぜそのようになったのでしょうか。 聖徳太子の時代 日出ずるところの天子うんぬんという文章がある。中国には支配されないという強い意志がある。一方中国軍を当てにしたり 中国軍の通り道として自国を使わせた 歴史が朝鮮半島で見られた。私の教えられた歴史で は そのようになっている。 これから なぜそのように差別するようになったのか いろいろ勉強してゆきたい。

私の幻想 怖い話

 ある昆虫Aが 温暖化のため大量発生するようになった。農作物は不作に見舞われた。そこでAが大量発生しないように オスAの精子が少なくなるようなエピゾームを組み込んだ。Aの大量発生はなくなり徐々にその数を減らしていった。しめしめと思っていたが そのエピゾームが他の昆虫にも感染し始めた。ある食物の受粉を促していた昆虫がへりある食物は取れなくなった。様々な食物の収穫は徐々に減り 食糧危機が地球全体に起きた。フードナショナリズムによって戦争が起こった。そして人類も滅亡していった。

ジャンジャン。

2024年5月2日木曜日

同対法 ある時 ない時

 本 寝た子なんているの 見えづらい部落差別と私の日常 上川多実著 里山社


時限立法だった同対法 同和対策事業特別措置法が  2002 年  3 月 に無くなった.

1965年成立 1969年施行。 自分なりに考えてみた

1 視線の変化

2マスコミの変化

3住む所の変化

4同和教育で住んでいる地域が差別の頑強と学んできたのではないか

5法律がなくなって視線の変化を強く感じるようになった。 差別するとその仕返しが怖いので目立った差別はしなかった人がいる 法律がなくなったのでおおっぴらに差別できると思うようになった人がいる 

マスコミは法律で良い目してきた分 これからは法律がないので 甘えるなと と キャンペーンを張る。それに耐え切れず心を病むもの。 地域から離れるものが出てくる。

2024年5月1日水曜日

物質の富を求める 効率や最適化を求める

 それで良いのか 

日本 田舎への回帰 伝統の見直し 無駄の奨励

中国 豊かになるために都会へ出たものの 田舎に出ていかなかった父母がいる その生活も破壊して 効率の良い生活に変える

インド 思想や宗教は中国とは違えど 中国とよく似た方向へ向かっている

アメリカ合衆国 他の国より早く工業化が進み自動車社会 情報社会にはなったが 全員がそれを臨んでそうなったわけではない.ヒッピーが生まれ アーミッシュが生まれ ベトナム反戦運動が起こった。

GDPではアメリカ合衆国 中国 インド ドイツより 小さい日本

別のものを求めて良いはずだ。SDGSと叫んで誰一人取り残されない社会にしようという風潮がある 。いつも 同じものを 一人の人が のぞんでいるわけではない 息抜きや 旅行もする 月火水木金土日 月火水木金金 毎日が日曜日 いろんな生き方を 人間はする

2024年4月17日水曜日

一茶が柏原の人の評価が低かったことに関して

 一茶が柏原に戻った頃の句は 柏原の暗い風景が読み取れるものが多い。何か下品だがその下品さを見せながら 文学作品にしている一茶の凄さがあると私は思っている。

是がまあ つひの栖か 雪五尺

ほちゃほちゃと 雪にくるまる 在所かな

ゆうぜんとして山を見る蛙哉

あの月を とってくれろと 泣く子哉

はつ雪を煮 喰けり 隠居達

雪とけて 村いっぱいの子ども哉

すごいと思いませんか。

2024年4月16日火曜日

一茶の評価

 先日 あるかたの家を訪れ漬物をあてにお茶を飲んでいた。そのときに信濃町の経済状況とその変化の話になって 小林一茶のことが話題に上がった。80歳を超える御夫婦だ。 今でこそ一茶はとても歓迎され評価も高いが自分たちが若い頃はそうでもなかった。評価は信濃町では低かったとのことだ。一茶の俳句でも信濃町での暮らしは快適なものでなかったとわかるはずと おっしゃっていた。そう言われてみると 彼は 死ぬときには土蔵の中で暮らしていた。

見かぎりし故郷の桜咲きにけり とある。また やけ土のほかりほかりや蚤さはぐ とも詠んでいる。うつくしや障子の穴の天の川。

あまり いい生活はしてはいないが とにかく 柏原が すき だったのではないかと思われる。 全国を旅し関東にも住んでいたが 最後には 柏原に住んでいる。 やっぱり 柏原がすきだったのかもしれない。

 一茶の句に 雀の子そこのけそこのけ お馬がとおる という 有名な句がある。大名行列で柏原が 潤ってきたので 詠んだものだろう。  農業や産業で柏原が潤っていたのではないと 私は想像する。

 江戸時代末期 柏原は景色はよいが そんなに 裕福な町ではなかったのではないか。一茶は 近隣の町村に 出かけていって泊めてもらったり食事をごちそうになったりしている。そして俳句を詠んでいる。 文化的ではあるが生産者ではなかったと思われる。

 江戸時代には他に芭蕉と蕪村がいる。 芭蕉は伊賀の出身ではあるがなくなったのは大垣。ずっと旅をしていた。 蕪村は 大阪の毛馬あたりの出身だが 与謝に行ったりしているが ほとんどは 京都四条、松原や京都の南の方の菜の花がたくさん咲いているところにいた。なくなったのは松原あたりかもしれない。大阪の毛馬には帰ってはいない。

 3人の俳人を見ても 一茶はあちこち行ったが 結局は生まれ故郷の柏原に帰ってきている。 私は 裕福ではないが景色の良い柏原が好きだったのではないかと 思っている。

2024年4月11日木曜日

わたしのASD ADHDと言う診断名にたいする考え方

 FBにすでに投稿しましたが 失われるといけないので blogに 書いておきます。

ふと思った ASD ADHD がよく話題になっている。 医師の立場とすれば 困った本人や家族が 目の前に現れた場合 なんとかせねば と 思う。そう思う医師が ほとんどだ。 医師は 患者に対して 治療するが その手順は 診断して 治療するという手順で 行われる。従って すでに出来上がったASD ADHD という診断名に 目の前の患者を 当てはめて しまうことになる 症例が多いのだ。また 自分で治療しない場合 臨床心理士などに 指示を与えることが多い。指示を与える時に ASD ADHD という名前があると 便利だ。  そのようにしてASD ADHDという診断名が一人歩きを始めるのだ。  よく考えてみよう。 家族や本人がどう訴えようとも 目の前にいるのは A さん B さん Cさんであって ASD ADHDではないのだ。一人一人 個性がある。 病気と言ってしまうと 便利ではあるが 個性がなくなってしまうのだ。   治療を間違える可能性があるのだ。