2024年11月29日金曜日

一つの例 長野県信濃町の人口減少についてのアプローチ

 町の多くの方に聞くと たいてい 人口減少は仕方ないと思っている。町に働くところがないから長野市などに努めに行くという。

それ以上は考えないのだ。自身は人口減少はだめと思っており、自身は町を離れたくないと思っている人が多いと思われる。 働いてお金を得ようとしていて 地元では雇口がないので仕方なく長野市ないの会社などから給料をもらっているのが現状だ。

まずそれ以上考えないのだ。そして単純に農地がたくさんあるので農業振興、お金になる作物を作れば良いなどと考える。 しかし実際は 寒冷地でお金をかけないと農作物は作れない。収益が上がらないので挫折する。 そういったことの繰り返しだ。

例えば考え方の進め方。

1.とどまりたい引っ越しはしたくないと思う理由を考える

    人がよい、景色が良い。昔から住んでいる。行政施策がよい。

2.お金がほしい。何に使うお金? 自動車 住宅 医療 介護 食料

というふうに具体的に考えてみることが 大事だ。

2024年11月28日木曜日

コミニュケーション不足が人口減少や町崩壊の大きな原因

 人生会議やエンディングノートやACPは

死に行く人と残された人のコミニュケーションのツールとしては有用であるが まだまだ足りない。

介護保険ができて25年あっという間にほとんど人が介護サービスを利用するのが当たり前になっている。介護は介護保険 介護はお金。という考え方が一般的になってしまった。

Aさんに認知症や身体の不自由があると 努めに出ている人や東京などで暮らす人BさんはAさんを介護保険の施設サービスや介護病棟に 入れたがる。

そこで まず 物理的にAさんとBさんは コミニュケーションが取れなくなる。

また 長生きするようになって ガンや交通事故などと違って 認知症や脳血管疾患や体や精神の動きが悪い病気になって 時間をかけて死んでいくようになった。 自分で意思決定ができないわけであるから コミニュケーションは取れない。そしてその期間は長い。

結局信濃町に財産を持っていたかの相続人は 早くその財産を手放したくなるのだ。 離れているし死んだ人の希望なんて無視されるし、 その財産は 外国人などに売払われてしまうのだ。 信濃町は人口は減少し町の財産も減少していくのだ。

おわかりか。

AさんとBさんがコミニュケーションが取れていれば そんな簡単に 町は崩壊しないと私は考えている。 

2024年11月27日水曜日

音楽療法考え方

 音楽療法の適応の3分野

1老人 認知症 に対する 療法

2発達障害児に対する 療法

3病人に対する療法

4私の考えではもう一つ集団に対する療法があるだろうと思います。

薬物療法は医師の指示で行う。音楽療法は医師の指示書があるのだろうか。

薬の評価は厳格で 命令系統も厳格です。

一方音楽療法は命令は不明確 音楽療法士にかなり療法士本人の裁量が重要だ。

2024年11月22日金曜日

本 人類はどこで間違えたか 中村桂子著中公新書ラクレ 

 絆とか利他 私たち 仲間 といっているが

私の考えと知ずいぶん違う。中村桂子さんは 生物の定義あるいはDNAをもつものという けっこう学問的な共通点をあげて 仲間といっている。私は そのような定義より それぞれの生物の行動をみて 仲間と感覚的に思っている。それは 哺乳類から人類まで。鳥類になると 仲間とは思わない。食うか食われるかの対象でしか無い。

よって中村桂子さんとは随分違う。仲間の範囲も異なる。

2024年11月20日水曜日

本 人類はどこで間違えたのか 土とヒトの生命誌 中村桂子 中公新書ラクレ

 70年大阪万博のテーマが人類の進歩と調和だったのを彷彿とさせる題名だ。著者は探している。真実を見たいという私たちの欲求。そこから得られた応用や工学の産物。 それらが行き過ぎと感じているが どこで どう折り合いをつけたらよいか 探している。迷っている。科学者として 真実を追求したいのは当然と考えられてきたが それを止める あるいは宗教のように何かを信じることができないかを 考えている。 私はそう思っている。

2024年11月13日水曜日

各疾病について 癌 認知症 循環器疾患

 世の中の疾病関する知識 考え方は 相当な個人差がある。

さて 癌

癌はすぐに死ぬ病気 と思っている方がかなり多かったが最近はそうでもなくなってきた。悪性腫瘍の種類によってかなり違うが 治療の改善 診断の進歩などによって 癌はすぐに死ぬ病気と 考える人が減ってきている。池江璃花子さんは治療を受けて オリンピックに出場されました あそこまで げんきになられるのは まれと 思われますが 診断治療が進んでいることを 世の中に知らしめたのではないかとおもっています。

認知症

よくテレビドラマに出てきます。本もたくさん出ています。それでも認知症への理解がホントにバラバラです。医師の理解もバラバラで説明もいい加減です。認知症は癌以上に死に至る病気ですが 癌ほど死に対する不安が少なく介護の大変さばかりが強調されます。そして認知家族の方は周りの人にその大変さを強調します。けれど とても個人差があります。患者さんによって症状も違うし 介護の手間も違うし 進行する速さも違うのです。 ですから医師でない方に認知症について説明しても 認知症の全容を説明しても 説明しきれないのかもしれません。 さらに認知症に対するおくすりが発売され異常に高額です。数が多い上に高額な治療費がかかるとなれば 社会保険医療の崩壊や 医療を受ける人の格差が増大します。 個人の問題だけではなくとても大きな社会問題でもあるのです。

循環器疾患

増えているのは事実ですが 予防によってそれ単独では死ななくなってきています。医師の実力が問われる疾患でもあります。いちどコレステロール下げるおくすりが高額で医療費を圧迫し社会問題化しかけた事が有りましたが薬価が下がりたくさんのジェネリックが出たためそうでもなくなりました。一時はやったメタボという言葉もかなりの効果が有りました。検診を受けたり 疾病減らすことによる会社や社会の 損失と 経済的な得 を考えるようになりました。

2024年11月11日月曜日

職業に貴賤はないということわざがあるが さて

 昨日 昨日 認知症の取材をとおして思うこと と 第する 信濃毎日新聞の方の 講演と その後の グループディスカッションがあった。 

演者は演題目からは外れて認知症の診断病態が主な内容であった。これは多分演者が日ごろ感じていた多くの方が認知症の診断病態に対する無知。そのためにそういう内容になったのではないかと思った。 更に グループディスカッションでは 認知症患者家族の会や認知症の方らしい方が 身近におられてどう対処したらわからないという方ばかりだった。 ここでも認知症の診断病態に対する無知ということを 強く感じた。いっぽうなぜそうなっているのかを看護や介護や福祉行政に携わったかた の ことを考えてみた。 もしかして それらの方々は 医師に対するコンプレックスを抱いていて 認知症の診断病態あるいはその研究にたずさわっては いけないそれは医師の仕事だと思っているのでは無かろうか。 反対に医師は 看護介護福祉行政に携わってきた人をののしってきたのではないだろうかと ふと 思った。 職業に貴賤はないはずではあるが 実際は違うのではないかとふと 思った。

2024年11月10日日曜日

もっと単純に考える

 かつては非常に複雑な現象の中からある法則を考え出す 天才のような方がいた。

現代は非常に複雑な現象に対して 非常にたくさんの例を記録し 複雑な現象の小さな違いを検出し 増強し 現象にひそむ傾向をを見出しそれを何度も傾向を確認増強して 複雑な現象の法則を見つけ出そうとしている。法則がはっきりしなくとも 現実の問題を解決しようとすらしている。

それらの恩恵に預かろうと お金や早いものがち といった醜い争いすら起きている。

かつての天才が紙と鉛筆で考え出した法則は必要ないのだろうか 無駄なのだろうか。凡人がAIを駆使して問題を解決すればそれでよいのだろうか。

誰でも天才になれるわけはないが 世の中を もっと単純に見て自分なりの価値判断をしてもよいのではないか。 特に 現代は 人の気持ちという非常に複雑で各人異なる物が重要視されてる。 そこが 問題であり これからも大きな問題となっていく。 今はAIを使って人の気持ちによって変化する問題や犯罪を解決しようとしている。しかし私はもっと単純に人の気持ちを判断できるのではないかと私は考えている。例えば教団の首領を見て 立派な服を着て立派な家に住み贅沢な食べ物を食べていればそれはカルト教団だと判断できる。などである。

2024年11月3日日曜日

音楽療法を科学的に捉えられるか

 かつては医は仁術と言われた時代も有りましたが 今はエビデンスに基づいた医療が主流です。 科学的に評価が得られた治療法や 薬剤が 患者に適用されます。あほな医者でも 適応条件をまちがわなければ治療ができるのです。

 つまり仁術ではないのです。

一方音楽療法自体は エビデンスが確立されたものは 少ないのです。 さらに 音楽療法と治療薬の違いをみれば わかることです。音楽療法は施術者と患者のやりとりによって効果が大きく異なることが想像されます。一方治療薬は あほな医者 患者とのコミュニケーション不足の医者が投薬しても適応条件をまちがわなければ治療の効果は 表れるのです。 

 その違いはとても大きい。 まずそこから出発しないと音楽療法におけるエビデンスが見つからないかもしれない。コミニュケーションの部分をAIに置き換えて 科学的なデータが得られるかも今のところわからないのです。


2024年11月2日土曜日

本のタイトル

 音楽療法はどれだけ有効か という 化学同人の 本

このタイトルを見て ふと思った。 このタイトルには作者 佐藤正之さんの 願いが込められているとわかった。単に音楽療法は有効か ではなく 「どれだけ」という言葉が入っている。その心は 有効かと 勝手に声を荒げているのではなく 科学的に 定量的に しなさいという 佐藤正之さんのこころだ。 本を売りたいという作者の願いではなく こうしてほしいという 願望を込めた 本のタイトルなのだ と ふと思った。