京都二条日銀の裏の高瀬川のところに船が浮かんでいて酒樽が並べられている。角倉家は伏見の酒を京都市内や祇園に運んだことで財を成したとされている。また森鴎外の高瀬舟で罪人を京都から南へ運んでいったことでも有名だ。
ここからは私の想像です。京都の伏見あたりにはたくさんアブラナ菜種 が採れるようになった。それを京都市内へ酒と同じように運んだ。さらに大阪の先進的な思想や本を京都市内に運んだのではないだろうか。与謝蕪村は大阪の毛馬閘門あたりの出身。菜の花や月は東に日は西には有名な俳句だ。京都四条下がった佛光寺あたりに住んでいた。伊藤若冲は四条上がった錦小路に住んでいた。円山応挙だって名前が円山だ。富永仲基は大阪の人で知識人。 菜種油で祇園が明るくなった。それまでは和ろうそくで 男女の中を照らしていたが 明るくなりすぎて芸をしなければ時間が持たなくなった。芸事が祇園では発達した。 私は退職してから ほとんど毎日のように賀茂川鴨川高瀬川天神川桂川の土手を自転車に乗っていた。距離は遠いが三川合流部まであっという間だった。信号一つない。自動車で行くと大変な時間がかかる。たぶん舟もあっという間だったろうと想像した。 と言う私の想像でした。
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