2023年8月2日水曜日

ある種の違和感 「美しい日本」後遺症 

 安倍元首相が 美しい日本と言い出した時には 日本人の半分くらいは 変 何を言い出すのか、と 思っていた。神道大乗仏教国体護持、国民総動員、何も考えないで 賛美する など と えらいことになったと思っていた。 この流れは戦後のアメリカ民主主義の導入一辺倒、一億総白雉化からの反動 で 安保反対 学生運動 あさま山荘事件による終結 そこからの 違う反動 そのながれにそったものが 美しい日本 だった。 今現在その流れは まだ続いている。大乗仏教的。ふるさと。自然。移住。愛。慈悲。絆。おじいちゃん、おばあちゃん、同世代、同調意識、日本的、鉄道ブーム などなど。 言葉の響きだけは良い。 元から考えないで 良いに決まっている、善悪は決まっている そういう状態が 好まれるのだ。

わたしは その流れは いやでいやで仕方ない。 一つ一つの出来事は自分の発想に 立ち止まって考えていた。ずいぶんしちめんどくさい やつ だと 思われるかもしれないが そんなものだと 思っている。 考えたり、議論したりした後で 同調するのは よい。考えたり、議論しないで 良いとか悪いとかを きまっていたかのように 同調するのが とてもいやなのだ。   

 田舎カフェで 手作りの小間物に これいいねと 猫なで声でしゃべっているのが 嫌いだ。

 病気のおばあちゃんの介護をしていたので 介護の大切さをしり 介護の仕事を選びましたと いうやつの 嘘っぽさに 腹が立つのだ。

 美しい日本 後遺症 は いつまで 続くのやら。


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