2018年8月11日土曜日

本 イスラームの歴史 カレンアームストロング著 中公新書

p6
つまり、社会正義はイスラームのきわめて重要な徳目だったのである。ムスリムには、その第一の義務として、富の公平な分配が行われ、思いやりが実践される共同体ウンマを建設することが命じられた。このことは、神に関するどの教義よりもはるかに重要だった。逆に神学的推論は、クルアーンではザンヌと呼ばれ、誰がどうやっても確認することができない超言語的な事柄について空理空論をもてあそぶものとして、否定的に捉えられていた。そのような難解なドグマについて議論するのは無意味と思われていたのである。それよりはるかに重要なのは、神の示した方法に従って生きる努力ジハードをすることだった。

仏教とにているところとそうでないところ。
仏教 超言語的な事柄は 考えても考えられないときは それ以上考えない。偶像や奇跡は 認めない、それは因果でそうなったと考える。超言語的な事柄と見えているだけだと 考える。

仏教 生きる努力ジハードはしない。 僧は 労働もセックスもしない。

仏教 ウンマの政治的社会的繁栄は ムスリムにとって宗教的行為の結果であるが、仏教特に初期の仏教では 政治的社会的事柄にかかわらない、出家という 法律の及ばない集団を形成するし 政治的社会的 行動はしない。慈悲や鎭護国家という考えは 聖徳太子後の日本仏教特有のもののように思われる。

ムスリムは 予言者ムハンマドは 神の啓示を受けてクルアーンを伝えているが それ自体は超言語的事柄とはしていない。

仏教は 涅槃は 修行して 悟るものだとしている。


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