2023年5月13日土曜日

曲や小説の 本質

曲の出だししか歌えない。小説の出だししか覚えていない。それは 作った人が一番感動したこと、一番伝えたかったことだからだ。

Aはトンネルを越えてCを見た。 そこが作者が感動したところでその感動を伝えたかったのだと 私は思っている。Aがそのあとどこに行って何をして死んだのか、Cが火災でなくなろうが どうでも良いかもしれない。小説なので ある展開があって終わらなければならないのだ。でも読んだひとが覚えているのは記憶に残っているのは Aはトンネルを越えてCを見た。

曲も小説と似たところがある。長い交響曲やソナタ形式やジャズ曲。大抵覚えているのは主題A、他は色々展開がある。アドリブがある。演奏がある。曲なので 終わりが必要なのだ。あの手この手で終わりを考えるのだ。バリエーション、転調、主題B、フェイドアウトなどなどあの手この手を使って終わるのだ。 でも 聞くひとが覚えているの記憶に残っているのは 主題A。

曲や小説の 本質は そこにあると 私は 思う。

1 件のコメント:

  1. Beethovenの5番の4楽章 ほとんどが あのジャジャジャジャーンの終わりのために作られている。

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