2023年3月25日土曜日

町の 風景 と 社会的な死

 昨年末より民生委員 4月より 町内会組長を する 。 各個を見てまわる権利を得た。

朽ちかけた 家を訪問すると 人が住んでいる。個体としては生きているのだ。 空き家はもちろん 家は朽ちていくしそのことによって景観も悪くなり犯罪や事件がおきる可能性もある。一方 人が住んでいても 朽ちかけた家があるということも 訪問してみて わかってきた。  話してみると 孤独、不安、不審が ある。食べ物、食事は なんとか調達できているようで あるが 家、身体の両方が 汚れている。 ご近所や、親せきは そのことは知っているが コンタクトを取ろうとはしないように 見られる。 そのようになった経緯は わからない。  かつては 大きな家だったように見られる。 家族もあり ご近所にも顔見知りがいっぱいいたかもしれない。 少しづついなくなり 現在に至っているのかもしれない。

個体としては生きているが 社会的には死んでいるようにもみえる。 食べ物食事の調達が出来なくなったり、何らかの傷病が発症すると 個体としても死に至る可能性 大 だ。

 町は他県からの移住や町内での起業には 精力的だが 社会的な死の増加に対して 何らかの手を打っているのだろうか。  

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